上司の功罪に想うバイヤー

上司の功罪に想うバイヤー

私は仕事をするようになってから、いろいろな上司と呼ばれる人たちと仕事をしてきた。その瞬間瞬間では、とんでもない人だなぁ~と思うことはあったけれども、今にして思えば、個性に富んだいろいろな人と仕事をさせてもらって、時には叱咤激励を、たまには喜びを分かち合うことができた。

いろいろな・・・・・・思えば動物園を巡るような上司との出会いだったが、共通していた事が一つある。それは皆、厳しさを持っていたこと。厳しさとは、私にだけでなく、関連部門にも、上司の更に上司にも、時にお客様にもである。

私が大切だと思う上司の心得の一つに「配下を守る」ってことがある。例えば、自分の部下が理不尽な理屈で難癖をつけられたとき、いかに言い返せるか?も「守る」という意志の表現方法の一つだろう。しかし私の感じてきた「守られる」とは、安らぎなど感じるモノではなかった。事実、そんな上司からの指示に明確に「できません」と回答したのは、ただ一度しかない。それ以外は、無理難題と思っても「どうやってやるか?」を考えていたし、それで思い悩んでいた。散々指示をした挙句に、先に帰る上司に腹を立てていると、今飲んでいるからすぐ来い!と電話があって、いってドンチャン騒ぎをやらかして、翌日涼しい顔で「あれ、できた?」と聞いてくる、そんな矛盾のかたまりの様な人もいた。

最近「できません」という言葉を耳にする機会があった。その「できません」に、言った本人の上司も同調している。できない時に「できない」と言うことは、とっても重要なことだ。個人でなくチームで対処すべき問題かもしれないし、できないことで他に迷惑をかける可能性もあるから。でも一個人で考えるとき「本当にできないか?」という自分へのギリギリの問いかけは不可欠だと思う。本当にできないか?何か他にできる方法はないか?原因を十分に探っていない「できない」は、自分の現状を正当化しているに他ならないと思う。そして自分の配下の人間が「できない」と言うときのハードルをどの位置に持っているか?を見ることは、上司の最も重要な仕事の一つだと思うのである。上司と部下が「できない」というハードルを同じ位置に持ってしまっては、その部下の能力開発にはまったく不幸であると思うのである。

私のこれまでの会社人生で欠かすことが出来ない素晴らしくメチャクチャな上司を思い、その有難さを、今更に実感するのである。

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