井の中の蛙に思うバイヤー

井の中の蛙に思うバイヤー

以前行ったあるバイヤーとの面談が、とても印象に残っている。

「年間どのくらいの額買っているの?」

「どのくらいのサプライヤーを担当しているの?」

そのバイヤーは、まったく答えることができなかった。驚きだったのは、その答えられないという現実が、そのバイヤーにとって何ら恥じる状況ではなかった事。数日後、私の質問への回答は行われたが、単に数値の回答で終わっていた。

バイヤーが買う金額の大小で何が計れるのか?何社くらいたんと等しているのか?どんな製品を買っているのか?そんな自分の現在のポジションに関する情報を持っていないバイヤーは、もしかすると多いのかもしれない。私が育った環境がとても幸せな環境だった証明なのだろう。でも、自分の今の状況を知ることが、当たり前でなくて、幸せだったと表現しなければならないところに、今の日本の資材調達・バイヤーの置かれた由々しき状況が現れているようにも思う。

金額が大きいから良いとかそんなことではない。自分の購入金額が、具体的にどう自分の業務に直接繋がるか?と聞かれれば、日々刻々関係してくるでしょう?と言いたい。会社の中にいれば、その会社の置かれた状況が中心になり、当たり前になる。自社のスペックが高すぎる、数量が少なすぎる・・・・・・そして次に来る言葉が、だから安く買えないんですよ~という言い訳。今置かれた状況がそんなに悲惨なモノなのか?ってことは、客観的な説明も、証明もできない。なのに、自分の置かれた状況を、正しい、当たり前と思って言う意見。これって他人へ説得力を作用させられるだろうか?

バイヤーに限らず、人って井の中にいる。会社であり、ファミリーが「井」となる。でも、会社の中だけだったり、家族だけでは生きてゆけないから、皆外へ出ている。いや、敢えて言えば、外に出ているつもりになっている。外に出ていても、そこで出会った人や、街に溢れる情報から、何か刺激を得て、そして自分を振り返ることがなければ、それは外に出ていることにはならないよな、と思う。引きこもりなんて言葉があるけれど、井の中の蛙はある意味精神的な引きこもりだよな、と思うのである。バイヤー稼業は比較的外から訪ねてくれる場合が多い。より外と交わることができると思うのだが・・・・・・

私に衝撃を与えたバイヤーは、今どうしているだろうか?

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