仙台~塩釜~石巻を駆け足で巡ってみた(牧野直哉)

仙台~塩釜~石巻を駆け足で巡ってみた(牧野直哉)

仙台へ行ってきました。震災発生から4ヶ月が経過しようとしている今、被災地はどんな状況なのかをこの目で見るためです。仙台駅を出発し、塩釜港、石巻市そして仙台空港周辺を駆け足で巡りました。

東京から新幹線で一路、仙台をめざしました。仙台駅への到着のアナウンスが流れると、少し早く新幹線のデッキへ行きました。窓からの光景は、屋根にブルーシートがかけられている家をいくつか見ることができる程度です。世界で発生する地震の10%が集中する日本の耐震技術のすばらしさでしょうか。新幹線の車窓からの光景に、震災の跡を見ることはできませんでした。

仙台駅に降り立って、駅の構内を歩きました。駅のホームも構内も、所々震災被害修復の跡が残っています。レンタカーを借りて一路、津波に襲われた海岸線をめざしました。車を走らせ始めたばかりの頃は、これが数ヶ月前に1000年に一度の大地震に襲われた地域かと思うほどに日常でした。一見では震災の爪痕を見ることはできません。行き交う車も、道路沿いの店舗も、私が住んでいる東京となんら変わるところはありません。これは震災から既に4ヶ月が経過しようとしている時期で、これまでに地域の人々による復旧への取り組みがあればこそでしょう。レンタカーを借りる際に「今は道路が混んでいますよ」と言われたものの、目立った渋滞もなく、順調に海岸線へ車を走らせました。

塩釜港へ向かって15分も走った頃からでしょうか。少しづつ、震災の爪痕を目にするようになりました。建物の壁に横に走る黒い筋は、ここまで津波による水が襲った、という証でしょう。15分前にみた日常とは異なる光景でした。それは、港へ近づくほどにより深刻さを増してゆきました。瓦礫の山や、津波による破壊の跡、そして人がいないことによる静けさに震災の爪痕をより多く感じました。

塩釜から、高速道路を使わずに、松島を抜けて石巻をめざしました。日本三景の一つである美しい松島湾に沿った道路では、観光客の姿を多く目にする場所もありました。松島は県外からの多くのボランティアの努力によって、比較的早く復興を果たしたと観光協会のHPに紹介されています。ひととき日本の美しさを感じることができました。

そんな気持ちも、石巻に入って消え去ります。津波に襲われて以降、まったく手のついていない光景が飛び込んできました。警察車両の集合している場所では、引き続き、被害者の捜索が続けられているようでした。そこには、泥と瓦礫、不自然に打ち上げられている船。かろうじて残っている家も、1階だけでなく2階部分にも津波が押し寄せたことを物語るひしゃげたベランダの欄干を残しています。これまでにもテレビで見ていた光景ですが、実際目の前にすると、言葉がでません。ここには、人々の日常生活があったろうにと考えると、ただ悲しくなり、津波の持つ力に圧倒されます。

石巻港にも行きました。

船の接岸用岸壁が斜めに傾いているのです。きっと普段はこんなところまで一般車は入れないんでしょうね。こんな状態の岸壁にも何隻もの船が出航への準備に精を出していました。

最後は一気に南下して仙台空港へと向かいました。石巻から仙台空港への移動には、高速道路を使用しました。高速道路を降りる際に、関東では見られない光景に出くわしました。ほぼ全車が出口のETCレーンに行かずに、現金支払いのレーンに車が並んでいるのです。支払いに際しては、皆なにか書類を見せています。そして通行料金を支払う車はいません。私の前後に並んでいた車に乗っていたのは、あたりまえですけど皆さん被災者なんですね。高速道路も通行にまったく問題はありませんでした。でも、ここは被災地だと実感する瞬間でした。

仙台空港へ行く前に、仙台市若林区の付近を走りました。Google Mapでは被災後の状態をみることができますが、その光景と同じです。元々建物が多くなかった地域なのでしょう。これまでに見てきた塩釜や石巻ほどに瓦礫の山という感じではありませんが、まだ横転した車や、津波によって持ち込まれたものが点在しています。中には、すっかり片付けられた区画もありました。しかし、この地域をすべて片付け終わって元通りとするには、どれ程の時間が必要になるのかと考えざるを得ませんでした。

仙台空港迄の道沿いに、テレビ番組で見かけた小学校がありました。児童は当初体育館へ避難。津波の襲来によって校舎の三階へと逃げた、そんな風に伝えられた小学校です。これまでにニュースでたくさんの映像を見てきました。今回の被災地訪問では、どんな風景も見たことがある、そんな気がする光景ばかりです。津波の被害は街並みを一変させています。破壊の跡は、どれも痛ましい光景でした。

最後の目的地、仙台空港です。この場所は、駐機場や滑走路が津波による海水に覆われる様子が、繰り返しニュースで流された場所です。また、空港ロビー内や屋上からの映像もたくさん残っていました。空港のロビーに入りました。そこには、最低限の機能のみを復旧させた空港がありました。仮設状態です。手洗いもロビーから出た場所にたてられた仮設です。建物は残ったけれども、内部の機能はその多くが失われたことがうかがえました。

駆け足で、被災地のほんの一部をめぐりました。今回の津波は、都市化が進んだ便利な生活ができるようになって初めて三陸で起こった津波です。津波に襲われた地域と、そうでない地域の被害の大きな差が印象に残っています。津波に襲われた地域でも、復旧模様はまだらです。未だ手つかずの地域がある一方で、そこから車で10分ほどの場所にあるパチンコ屋は活況を呈しています。石巻の港から車で数分の場所にあったコンビニエンスストアは、すっかり復旧して通常営業を行なっています。津波の大きな被害を受けても、4ヶ月という時間をもってすれば復旧可能と考える反面、手つかずの地域が広大すぎて、ほんとうの復旧・復興にはまだまだ時間が必要であることがわかりました。

震災発生時に深刻な供給問題にさいなまれた製品も、徐々に正常化しています。先日、数人のバイヤーと話をしましたが、正常化していると力強く話すバイヤーもいました。これからバイヤーが考えるべきは、今回の震災によって顕在化した問題への恒久的な対策です。寸断されたサプライチェーンをどうして行くのかを探り、明らかにしなければならない。被災地をめぐって、そんな思いを新たにしました。

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