始末書から始めよう!

始末書から始めよう!

ある本を読んでいる(感想は後日改めて)のだが、それを読んでいて思い出したことがある。
「始末書」のことである。読んでいる貴方がサラリーマンであるなら、始末書というものの存在はご存知だろうが、実際に書いたことのある方は極少数であろう。
私はまだ会社に入って三年目ぐらいの時に、一度書いたことがある。書いただけではなく、もちろん提出した。
理由は部下のミスにより、買掛金にマイナス残を生じさせてしまったことである。あり得ないと思う方も多いことだろう。そんなことはシステム的に不可能にしている場合も多いからである。だが、その時代にはそんなチェックが掛かっていなかったので、不用意に金額の大きな赤処理をすると、マイナス残という会計的にはあり得ない筈の状態を引き起こしてしまう恐れがあった。
若年と言えども、係長の立場にあった私は当然その危険性を認識していたので、締め切りを前に端末をにらみ、赤処理をする場合は自分に報告するよう部下に伝えていたのだが、結果的には指示を守らなかった部下がいて、マイナス残が発生していた。
事実を把握するとすぐに経理課へ行き、問題発生の理由を伝え、経理課長に謝罪したが許してくれない。「始末書を書いてもってこい」とのことなので、仕方なく書き上げ、提出した。まあ、この時には自分がやりすぎた訳ではないが、二つの感想を抱いた。
一つは「もうちょっと寛容であっても良いのではないか?」というもの。実際この課長はその後も何度か衝突することになったのだが、この方は判断基準が不明瞭で、衝突から学ぶところは殆どなかった。しかしながら、ミスをしたのはこっちだから、この感想は虫がよすぎるというもの。
もう一つは、「会社というのはミスぐらいでは、そんなに簡単にクビにはならないものだ」というもの。これも会社によっては真実ではない場合もある。しかしながら日本の大半の会社はそうであろう。この前後にもいくつか始末書ものの、しかも確信犯的なへまをしでかしていたのだが大いに怒られこそすれ、クビにはならなかった。
この後、私はかなり大胆になって、怒られるか怒られないかのぎりぎりの線を狙って仕事をすることが多くなった。「どうせクビにはならないだろう」という安心感と、「もう始末書を一枚書いたのだから、失う物はない」という開き直りによるものである。(もちろん時々周りの人を激怒させたり、あきれられたりはする。)何もしないでいるよりは、間違って怒られてもよいから、ぶつかりながら前進するという生き方の方が実り多いのだと考えるようになった。
始末書から仕事を学ぶというのもあるのだと思う。だとしたら不寛容な上司は大歓迎である。

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