書評『小説 郵便利権』(坂口孝則)

書評『小説 郵便利権』(坂口孝則)

きわめて重要な小説(『小説 郵便利権』)が発売された。今回は増刊号でもあることから、この小説の書評を書いておこう。多くの視座からの読解が可能であることから、機会があればぜひ一読をお勧めしたい。

本書『小説 郵便利権』は、郵便公社の社長となった山内豊明を主人公とする正義の物語だ。三友銀行の社長だった山内は退任後に、郵便公社の舵取りを担うことになる。前政権から引き継いだ郵便四事業の民営化と事業効率の向上。山内は、この郵便事業の民営化に、前政権と米国政府との蜜月と利権構造を嗅ぎとる。

保険事業と郵便貯金だけを見ても、莫大な資産が眠っている。これを民営化の名のもとに開放すれば、米国と日本の一部勢力へ利益がもたらされる。国有財産ともいうべき「ユウホの宿」を不当に安く評価し売却すれば、落札企業は莫大な取得益を得る。山内が見たのは、壮大な売国政策の現場だった。

山内は社長として、これら政策の片棒を担いでいるように演じながら、たくみに抗っていく。不義を先導する立場にいながら、巧みな手腕と正義の心によって、利権構造を破壊していく。国会での参考人招致においても、偽悪を装うことで舞台となる郵便事業の欺罔を明らかにしてみせた。

実際に、「ユウホの宿」売却は中断されることによって、山内のささやかな抵抗は成功を迎える。

この小説の面白みの一つは、実存するモデルを使い、実存する政策をベースに、正義の物語に編みなおしたことにある。私たちは実際のニュースを通じて、「山内」なる社長を悪の対象と見ていた。しかし、かつての経営手腕からして、その失態ぶりに納得できないことも多かった。この失態は意図的であり、義憤に駆られた義人の活躍と解釈しなおすことで、この小説はこれまでにない異色の郵政民営化解説書ともなった。

* ちなみに主人公の「山内」は元・三井住友銀行頭取の西川善文さんだろうし、「聖域なき構造改革」を叫ぶ「小沼元首相」とは、小泉純一郎元首相だろう。加えれば、松下金融庁担当大臣とは、竹中平蔵さんであろう。このように、すぐにモデルが浮かぶ登場人物が頻出する。いうまでもなく、「ユウホの宿」とは「かんぽの宿」だろう。

本書は小説であって、ルポではない。解説書と呼ぶのは間違っているだろう。本書のもう一つの面白みは、主人公が国益を想う、その熱さにある。この本が小説でしかありえないのは、主人公の内面を正義の観点から記述していることだ。私が解説してみせた小説の舞台やあらすじは表層にすぎない。

筆者が描き出したかったのは、国家に翻弄されつつも、職業人として国の将来を考え、国益を考え、立ち向かう人びとの存在だ。筆者は主人公に「お国のために」郵便制度を守りたい、と語らせ、「一刻も早くこの国を立ち直らせたい」と心の中を吐露させている。

正義や国益を語る人たちには、ある種の暑苦しさがつきまとう。しかし、この小説を読んでいてもそれらを微塵も感じず、むしろ清々しささえを抱いてしまうのは、おそらく著者が主人公たちに込めた情熱が作用しているのだろう。

正直に告白しておけば、評者は著者の描く郵便事業の「解説」に完全に賛同しているわけではない。本書で悪の代表である、郵便事業民営化進めた小沼元首相は、巨大な悪を演じることで、米国との利権構造を国民の前に晒した偽悪者であった可能性すらあるだろう。しかし、本書で読者を感動させるのは、主人公の私利私欲を捨てた行動と勇気であり、国を想う気持ちである。それはいかに解釈しようと揺らぎはない。

ところで、本書では、著者の前作「小説 会計監査」の主人公である勝が再登場する。現場の監査業務から引退した彼が、ジョイスの『ダブリンの市民』を読みながら安穏とした生活を送る印象的なシーンがある。かつて評者は同書に収められた「イーヴリン」という短編を読み衝撃を受けたことがある。

アイルランドを舞台とするこの物語で、19歳の女性イーヴリンは家庭と父親に束縛され、同じ場所にとどまることになる退屈な人生を、なんとか打破したいと願っていた。するとフランクという男性が異国ブエノスアイレスで、可能性にあふれた生活をしようと彼女に提案する。イーヴリンは彼と逃げ出し、新たな人生を送ることに決める。しかし、出発の日、イーヴリンは不安に襲われ、抑圧的な父親がいる凡庸な生活に自ら舞い戻る。不満と退屈のなかでも、人びとは現状を変えられないのだと私は恐懼した。

小説 会計監査 (幻冬舎文庫)
細野 康弘

ダブリンの市民 (岩波文庫)
ジェームス・ジョイス 

人間は変化を嫌う生き物だ。特に日本は、空気の支配のなかで、その流れに乗ることが是とされてきた。人びとは窮する生活のなかでも安住する諦観を身につけ、いっぽうで利権を得る人たちは、それを悪と知りつつも甘い汁を吸い続けてきた。本書『小説 郵便利権』を読んで感動を覚えるのは、主人公がほんとうの意味での偽善であれ偽悪であれ、立場を省みず国を変えようとした志にのみある。

山内は三友銀行の安定した地位を捨て、また郵便公社の社長の立場にいながら利権に絡み取られず、国益確保の志を通した。自らに突き刺さる刃をもってなお、既存利権を切り裂こうとした、主人公のその志こそ、筆者がもっとも伝えたかったことではないか。

悪しきものを打ち破る智慧を、古典では同じく利剣(りけん)と呼んでいる。

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