先日、初場所で25回目の優勝を成し遂げた横綱朝青龍が、突如現役引退を発表した。場所中に起こしたと言われている事件(これを書いている段階では事実関係が明らかになっていない)によって、相撲界を取り仕切る理事会による事実上の引退勧告を受けての決定。記者会見をみる限りにおいては、本人にとっては心の準備どころか、実際は全くの想定外だったのではないだろうか。そんな風に思わせる記者会見であった。

横綱朝青龍は、これまでに何度もその行動が物議を醸してきた。巡業をキャンセルして帰国中のモンゴルでサッカーに興じる姿が報道されたり、取り組みの後のガッツポーズが批判の対象になったりといった部分である。そして最後に語られる言葉が「横綱としての品格」である。ある元横綱審議委員の辛辣なコメントは記憶に新しい。

この記事を書いているのは、引退発表の翌日であり、前日の夜と今日の朝は、引退を決めた朝青龍関を惜しむ声が大勢を占めている。先の初場所でも、横綱朝青龍の活躍によって観客動員も伸びている。そんな中での現役引退の決定。果たして何が原因なのだろうか。

横綱は、2場所連続優勝という成績により、日本相撲協会の理事長が、横綱審議委員会へ、昇進を諮問する。横綱審議委員会によって討議され、その答申によって正式に決定する。そして日本相撲協会の使者によって、親方と本人へ伝えられ、我々にもおなじみの「謹んでお受けします……」との回答により、晴れて横綱誕生となるわけだ。

この横綱誕生のプロセスを見ると、昇進の条件は、力士としての実力が問われる。そして、日本相撲協会の理事長による諮問、そして横綱審議委員会の面々が、昇進の是非を決定することになっている。

諮問を行う理事長他、日本相撲協会の理事は12名。横綱審議委員が12名。横綱という日本の国技の最高位を決めるプロセスに口を出せる人間が合計24名いる。その中で、実際の横綱経験者は現在4名となっている。比率としては約16.7%だ。

こうやって横綱昇進を取り巻く環境を見るとき、戦略よりも実績を重んじると言われる日本で、その国技にしては、横綱経験という実績を軽んじてはいないだろうかと感じざるを得ない。そして、相撲協会理事と審議委員会の面々の横綱経験者が少数派である中で、その昇進の是非が問われ、昇進して以降も品格や成績に注文をつける光景を、私は今バイヤーの置かれた状況と重ね合わせて見てしまうのである。

・ 調達・購買部門の社内的な地位が低い
・ 調達・購買出身者は社長になりづらい(出世できない)

こんな事が世の中で喧伝されている。以前は、話題にすらのぼらなかった。最近でこそ、大手企業でも調達・購買部門の社長が登場したりしている。過去との比較では、調達・購買部門へ課せられた職責と、社内的な地位や、キャリアとのバランスが見直される機運が高まりつつあると言ってよい。しかし、依然として大勢を占めるのは、必要以上に低められた地位と、なぜか出世しない優秀なバイヤーの存在だ。

調達・購買部門のトップに、設計を代表とする他部門の人間が就いているケースは珍しくない。そのような人事の意図とは、キャリアパスであったり、他部門での功績の功労的であったり。そして調達・購買の経験を持っていない人間をもってしても、マネジメントできるであろうとの経営者の無知の産物といっても過言ではない。

確かに、バイヤーに必要なセンスとは、当然他の部門でも同様に必要となってくる。特に、基本的な他方への謙虚な姿勢や、バランス感覚、環境変化への対応能力といった部分は、部門の違い関係なくビジネスパーソンとして必須のものだ。しかし、バイヤーとは、買うことに関するプロである。日々行っている消費者としての購買行動と、企業での調達・購買とは違うのだ。バイヤーには、それほど専門的な理論に裏打ちされた行動が必要な、一生を賭すに値する職なのである。

元横綱・朝青龍は、自分の歩んできた道をまったく知らない人間が多数をしめる人間達によって、その進むべき道を断たれてしまった。今回の決定に関しては、本人の酒に酔った上での行動が伴っているであろうため、やむを得ない。しかし、ここへ至るプロセスについては大いに問題を感じる。朝青龍が歩んできた道が、崇高で万人には到達できない高みであるならば、数少ない経験者がその真意をどれだけ伝える努力をしたのであろうか。

今回の一連の騒動は、朝青龍の相撲道上の親に当たる親方の監督責任が問われているが、その親方にしても横綱という崇高なポジションに関して語る術は持っていないのだ。横綱という地位が崇高で、相撲が日本の国技、そして文部科学省配下の財団法人である日本相撲協会が、その歴史と伝統を守るのであれば、なぜ組織が一丸となって朝青龍を確固たる横綱に育てることができなかったのか。その部分の責任は一体どうなるのか。結果責任を現役引退という形で果たして終わりなのか。結果として横綱にはそぐわない人間を推挙した側の責任はどうなるのだろうか。

会社の中にあってバイヤーとは、総費用の過半数以上を決する非常に重要な責任を担っている。しかし、その大切さを身をもって語れるマネジメントを持つ会社はほんとうにすくない。実際にコストダウンをモチベーションの減退要因としてしか社員へ伝えることができない経営者が多いのだ。バイヤーとしてあるべき姿を語る先人が、残念ながら今のバイヤーには存在しないのだ。

しかし、だからといって、理想とはほど遠い調達・購買活動が許される状況ではない。先人が残した体たらくを繰り返すことなく、負のスパイラルを断たねばならない。理想のバイヤー像を自らの行動によって体現することでしか、現状を変えることはできない。そして、変えられない状況の責任を、調達・購買をよく知らないマネジメントへ求めるべきではない。そして、もうプロの買いをよくわかっていない人間に、調達・購買という組織の運営を担わせることに、終止符を打つべき時ではなのである。

人事など自分でどうなるものではないかもしれない。しかし、横綱の品格とは、本人の横綱たる行動でしか体現できないように、バイヤーのプロであることを自らの行動で示すことが今、一番バイヤーに求められているのである。

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