私は、坂本竜馬の20年来のファンです。最初は司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読んで。この本は、坂本竜馬が書いたとされる手紙の、本文と解説が掲載されてます。内容から読み取れる坂本竜馬像と、今年話題の大河ドラマでの竜馬像には大きなギャップを感じています。

主人公を演じる俳優が格好良いというのも大きく(かなり)影響しているんでしょう。しかし、ストーリーの中で語られるエピソードにしてもですね、例えば、今年の大河ドラマでは、獄中の武市半平太・岡田以蔵を救うべく、脱藩中でもあるにもかかわらず竜馬が高知に戻るシーンがあります。そして、二人の罪をかぶろうと後藤象二郎へ迫るシーン。これは格好良いですね、確かに。

残された手紙と、文献から迫る竜馬像と、今回の大河ドラマでの竜馬像のギャップとは、美化です。今年の大河ドラマの竜馬は、ずいぶんと美化されています。人物像にしても、登場するエピソードにしても。「竜馬がゆく」中でも、良く描かれすぎているとの話はありました。しかし、今回の「平成の竜馬像」というコンセプトによって、史実からは大きく乖離してしまった部分がある。その多くは「美化」です。坂本竜馬の持つ美化させる力、美化力とでもいいましょうか。

例えば、こんな逸話も創作です。

大政奉還を成し遂げて後、新政府を誰が運営するのかについて、竜馬が、原案を提示します。西郷吉之助が原案の中に竜馬の名前がないことに気づきます。そのことを竜馬へ問いただすと、世界の海援隊をやります、といった話。これは、原案の中に坂本の名はあって、創作であるとされています。ただ、創作であるとはいえ、いかにも坂本竜馬らしい、権力への執着がないことを示すエピソードですね。いかにもありがちな話です。

話は全く変りますが、今年のISM総会でのカンファレンスの一つに、レピュテーショナルリスク(評判)がありました。このレピュテーショナルリスクのポイントとは、実態と評判の差の大きさです。良し悪しに関わらない。例えば、実態よりも良すぎる評判の場合、化けの皮が剥がれたときにブランド力は大きく失墜します。逆に実態よりも悪すぎる評判の場合、これはそもそも選択してもらえませんね。なので、レピュテーション=評判とは、実態とあまり大きく離れず、少し良いことが、一番良いわけです。



そして話を竜馬に戻します。彼の場合、もう既に亡くなって百数十年。どんな風に美化されて、実像と大きくかけ離れても、問題ないですね。実態そのものがない。ここで、彼がなぜここまで徹底的に美化されるのかを分析します。

西郷吉之助、桂小五郎、高杉晋作といった明治維新の豪傑たち、彼らと竜馬の違いといえば、竜馬は人を殺していない、好戦的でない部分に見いだすことができます。それが、日本国内の戦いでの疲弊を回避したといわれています。

我々バイヤーは、バイヤーだけでなにもできない。関連部門との連携が必要です。そして、どの企業でもバイヤー1名に対して、複数の技術者であったり、現場を司る担当者(生産管理、品質管理)だったりがいますね。そんな中で、実態よりも少し良い評判を持っていると、バイヤーとしての自分がいない時に、周囲が美化してくれるかもしれませんね。

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