・温室効果ガスと調達・購買の明日

現在、さかんにCO2削減目標についての報道がなされている。京都議定書が事実上反故にされてしまったことにたいして、鳩山首相が国連総会で温室効果ガス「25%削減」を叫んだ、という構図はなかなか興味深いものがある。日本国内でも懸念はあったものの、総じて好意的に受け止められた。

ただ、この宣言は、いったいどのような意味があるのだろうか。新聞報道などでは、この数字が達成できるのかという観点から論じられることが多い。しかし、単純に生活エネルギーの抑制や企業の努力やテクノロジー進化で達成するものなのだろうか。

現実可能とか不可能とか論じる前に、そもそもこの宣言の異議について述べたい。そして、その背後にある構図を抉り出すことで、実は調達・購買の領域にも関わってくるということを俯瞰したい。

まず、やや簡単な整理が必要だろう。

この温室効果ガス「25%削減」とは、そのままの意味ではない。日本国全体で実際の温室効果ガスを25%も減らす、ということを指していない。目標は90年と比べて25%を減らすということだが、実際は90年から8%ほど上昇しており、これは33%の削減を指す。

これが可能な数値かどうか。おそらく、政府も不可能であるということは理解しているだろう。では、この33%もの量をいかに削減するのか。答えは、「削減しない」のである。その33%(だか、二十数%だか知らないが)分の「排出権」をどこかの国から買ってくる、ということにほかならない。

次に、この解説が必要になってくるだろう。

そもそも企業や国に、汚染物質を排出する「権利がある」という倒錯した考え方は、1990年代のアメリカから生じた。企業によっては、排出量に差がある。だから、規定量以下の排出量に抑えることのできた企業は、その規定量までの排出「権」を売却できるようにしたのである。1993年にはアメリカで実際に取引が開始され、その後1997年の京都での世界会議でも、同様の排出権の取引が正当化され、世界規模でシステム化された。これは、エミッション・トレードと呼ばれ、急速に広がってきた。あまり工業化が進んでいない国にとっては、排出権の規定量を使うことはない。

その架空の権利を先進国が買い取ってくれるのだから、これほど嬉しいことはない。鳩山首相の国連演説で、発展途上の国々の代表者が拍手喝采していたことは、あまりに印象的だった。

排出権取引とは、実に形のない、そしてある意味詐欺的な、ヴァーチャルなものである。また、CO2だけではなく、硫黄酸化物などの排出枠も取り決められているが、これらが本当に地球温暖化の要因となっているかはまだわからない。

かつて私は、CO2増加を地球温暖化の要因と考えるのは、あまりに早計ではないかという指摘をした。地球温暖化の活動そのものが、環境を悪化させる可能性があること、またリサイクルに使われるエネルギーがむしろ新たに製品をつくるよりも増大してしまう可能性があること。そして、地球温暖化はそもそも太陽運動と無関係ではありえず、CO2だけが主原因であるという統計データは完全に信頼できないこと。などであった。

しかし、私はそのとき、CO2と温暖化の因果関係にとらわれており、大きな視点を欠いていた。もっといえば、私の主張はある意味間違っていた。簡単にいうと、「温室効果ガス」がたとえ温暖化の原因ではなかったとしても、それを前提にして行動するしかない、というリアルを私は無視してしまっていた。

繰り返す。CO2の多量排出が、ほんとうは温暖化の原因かどうかは、まだわからない。ただし、そのことが温暖化の原因だと世界が動き始めたら、それに従うことが次のストラテジーとならざるを得ない。これは倫理観や道徳の問題ではないのである。残念ながら、きわめて政治的に「正しい」行動になる。

狂人、というものを考えてみればいい。一人だけが正気で、そのほかの世界中が狂人である、ということはありえない。その場合は、絶対的な正しさは置いておいて、その一人が狂人なのである。

京都議定書では、国同士の排出権取引を認めた。これは、炭素クレジットというもので、その新貨幣を介在させることで、温室効果ガス排出枠が余っている国から、足りない国に対して権利を販売するものだ。これは、第三者機関が認証したクレジットが使われ、ここにも利権の臭いがするものの、それ以上の解説は止めておこう。排出枠が各国で決められ、実際の排出枠を超えてしまった国や企業が、排出枠を下回った国や企業から排出権を購入できることになる。実際に、EU内では2005年にETSという売買システムが成立した。

ここで考えてみればいい。

排出枠を超えていたとしても、排出権を購入すればいい、という図式が成立するのであれば、誰も排出量を減らそうとはしないだろう。現に、そのような観点から排出権取引を批判する声は多い。金で解決できるのであれば、金で解決しようというわけだ。多くの人が知っている通り、排出量の削減には大幅な金銭的投資が必要となる。そのオフセット効果は計測されねばならないが、合理的な判断として排出量を減らすよりも排出権を購入したほうが「安ければ」、購入が促進されるだろう。そうやって、鳩山首相へ向けられた拍手を今一度思い出してみると、なかなか神妙な気持ちになってくる。

もともと排出量の低い国にとっては、さらに抑えることで排出枠を拡充し売却を目指し、もともと排出量の多かった国は、その体質を温存したまま排出枠を購入するという倒錯にも似た構図が浮かび上がるのである。

ところで、この排出権取引は、金融商品化され、高度ファイナンスに組み込まれて市場を席巻しようとしている。市場は、シカゴ、EUROなどに広がってきた。まさに株価や国際のように取引が行われている。繰り返すが、排出権などヴァーチャルなものにすぎない。それが一大市場として成立しようとしているところに、一種の危なさと、原理資本主義とも呼べるメカニズムの一端を見る。

しかし、これも繰り返しても意味の無い批判だろう。それが「すでにある」時代に生きる私たちにとっては、それを前提に生きるしかないのである。その市場規模は、約6兆円から10兆円程度といわれている。錬金術師たちは、ヴァーチャルなものを、これほどまでの額に仕立て上げた。その範囲は今後より拡大していくだろう。

さらにもう一つの潮流がある。それは炭素税というものだ。文字通り、化石燃料の使用者に対して税を課すものだ。排出権取引の理念と同じく、課税により使用量そのものを減じていこうとするところは相似している。結果、CO2排出を抑制しようとするものだ。マスメディアは、CO2軽減の技術開発に拍車がつくのではないかと期待しているようだ。それは基本的には間違いではないだろう。しかし、この流れはもう一つの大きなことを意味しているように感じられる。

それは、
1.これまでお題目だった環境対応が実コストを伴って具現化していく
2.行われているのは、税源の移動である
という二つだ。

これまでグリーン調達といっても、それはお題目にすぎなかった。「こういうことを目指していますよ」というメッセージに過ぎなかった。あくまで姿勢を示すだけのことで、それは多くの人の関心をひかなかった。それが、これからは課税というコストの形をもって表出してくることになる。

仮定として、調達品のうち環境未対応製品には、対応品に対して10%ほどの課税がなされるとする。それは、もちろん10%のコストアップを意味するわけで、これまでのような牧歌的な対応は、もはやできない。現在では数%のコスト低減が厳しい時代である。それを遥かにしのぐ税が加算されるときがやってきている。

また、ここで行われているのは、単なる新しい税の創出ではなく、課税対象の移動ということだ。これからは、「取れるところから取る」のではなく、「国際的枠組みに適しないところから取る」という形に移行せざるを得ない。平等という観点からも、国際既定の排出量を逸脱している企業への課税がますます激しくなるだろう。コストの追加ではなく、コストがかかるところが移行しているのだ。

そのようにして、排出権取引から炭素税創出にいたる道程は、調達・購買部門が、コスト施策の一部としてコストドライバーとしてのCO2を真剣に考えなければいけない時代の到来を示唆している。

試算では、炭素1トンあたり2~5万円ほどの税金が「実コスト」としてふりかかってくる。これを削減するかしないかで、調達品のコストは変化していくだろう。ここからは予想の域をこえないが、サプライヤーの工場が世界のどこにあったとしても、単一の基準が適用されるかもしれない。そうなると、国内技術だけに安逸としているわけにはいかない。グローバルサプライチェーンを考えるということは、グローバルカーボンエミッションを考えることにほかならないからだ。

さて、現在の日本企業の調達・購買部門のなかで、ロジスティックも含めた調達過程におけるCO2を正確に把握しているところはどれだけあるだろうか。

国内での調査はすでに始めているところはある。ただ、世界規模でのCO2排出量を把握しているところはほとんどない。繰り返しになるが、単一国内での排出量把握ではいけなくなる時代が来ようとしている。

そして、議論は冒頭に戻ることになる。CO2を含む温室効果ガスが、その文字通り「温暖化」をもたらすかどうかは、まだ不明なところが多い。しかし、世界規模で、その温室効果ガスを排出するという「権利」が付与されだした。しかも、その権利は、同じくヴァーチャルな「人権」という概念と異なり、高度資本主義のなかで売買対象の商品として扱われている。

この仕組み、パラダイムが完成してしまった現代にあっては、「CO2は温暖化の犯人ではない」と語ることに、さほど意味はなく、残念ながらその枠組みの中で行動せざるをえない。すると、次に炭素税というコストが喫緊の問題としてやってくることになる。課税というコストドライブ効果は、これから調達・購買部門にのしかかってくることになるだろう。今問われているのは、その枠組み内での最適調達を模索できるかということにほかならない。

かつてマスキー法というものがあった。アメリカで1970年に改定された大気汚染防止法律のことだ。この法律により、一酸化炭素等の排出量を当時基準の1/10以下にすることが義務付けられた。これに被害を受けたのは、当のアメリカと日本の自動車産業であった。当時は「達成は不可能」と呼ばれたものの、いくつかのメーカーが徐々に達成していった。結局は法案は廃止されたものの、いくつもの禍根を残すことになった。

皮肉なことに、マスキー法の教訓からアメリカは排出権取引という仕組みを構築していった。当時もっとも奮闘した日本も、マスキー法から学ぶべき国だった。

しかし、1990年代から明らかになったことがある。マスキー法の教訓から何も学んでいなかったのは、当の日本だったのである。

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