ここに、とても思い出深い一枚の写真があります。

学生時代、スキーの帰りに朝早く東京へと帰り着きました。カメラのフィルムが残っていたので、何枚か写真を撮りました。その中の一枚です。

朝早い東京の街の道路を、仲間で横一列に並んで歩く写真です。朝早くて交通量も少なく、誰かが言い出して撮影しました。普段は車の往来が激しく、横一列で歩くことなどできない道です。何気ない一枚ですが、道路の真ん中を皆で歩いたことが、今となってはとても良い思い出になっています。今でも仲間で集まった時には、なぜこのときにこの写真を撮影したのかが話題になり、思い出話に花が咲くのです。

今、話題の大河ドラマに象徴される歴史ドラマの世界では、街道の主人公は人です。往来を歩くシーンが度々登場します。ところが、自動車という文明の利器が登場して以来、思い思いに歩いていた人間は、道路の両端へと追いやられ、道路の主人公は車になりました。歩道の無い道路で、人が真ん中を歩いていると、車からクラクションをならされます。車歩分離の道路では、人間は当たり前の様に、どちらかの端を歩いています。自分の身を守りながら、目的地に達する、今はそれが当たり前の光景なわけです。

私はバイヤーとして、今までいくつかの組織に所属してきました。従業員数万人の大企業と、数十人の中小企業です。大企業と中小企業では、その購買力に大きな差があることはご理解頂けるでしょう。しかし、ここでお話したいことは、大企業と中小企業という構図ではありません。その両方に存在した「両極端な行動」についてのお話です。

「そんなもの、サプライヤーに持って来させればいいだろ!」

十数年間のバイヤー経験の中で、このような言葉を何度聞いたことでしょう。様々な原因によって、サプライヤーへ期待する納入が行われない場合に良く発せられます。中には、100%サプライヤー側に原因を見いだせるケースもあります。しかし、そのような状況へ陥った原因の多くは、双方に存在します。故に、双方歩み寄って、短期的に今滞っている納入をどのように実現させるか、そして長期的には、根源的な原因を追求して、二度と同じような間違いを起こさない対応策を見いだす、そんなことを同時並行的に行います。短期的、長期的、どちらの対策も重要です。しかし、今困っている状況を打開するために、もちろん軸足は短期的な対策へと置いています。バイヤー企業側の思い通りになっていないのは、それなりに原因があるはずです。その原因がバイヤーとして納得できるかできないか別にして、です。なので、そのような問題の発生原因を踏まえて、解決へと導くのがバイヤーの使命です。しかし、一方で工場の生産は、今にも止まりそうです。そのような状況では、そんな理屈っぽいことを言ってないで、ともかく納入させろ!そんなこともできないバイヤーなのか。俺たちはお客だぞ!と、そんな想いが「持って来させろ」という発言を生んでしまうわけです。

一方、こんな経験もあります。

「そのような姿勢には、異論があります」

また、部品の欠品が原因での納入遅れの情報です。私は、あえてサプライヤーの調達責任という言葉を口にしました。このような事態は今回が初めてではありません。これまでに何度も繰り返されています。もちろん、このような事態に苦しんでいるのは、我々だけではないでしょう。こんなことが起きる度に、インターネットを駆使して、世界中の在庫を持つサプライヤーから足下をみられながら、価格に糸目をつけずにモノをかき集めています。問題なのは、その追加で発生する費用の大半を自社、バイヤー企業側で負担しているのです。なぜ一方的に?!そんな状況に問題意識を感じ……というより、憂いを感じての発言です。すると、先の言葉の次には、担当バイヤーからこんな言葉が返ってきました。

「当社の購入ボリュームが少ないことがそもそもの原因です。購入ボリュームが少ないから、部品メーカーだって我々を重要視していない、なので、安くも買えないし、こんな事態も起きるのです。このような事態への対処は、調達責任を口にするよりも、パートナーシップでサプライヤー一緒に問題解決を行う必要がある……」

もう、これ以上は気分が悪くなるので書きません(笑)。なるほど、パートナーシップという言葉は、自分を正当化する目的においては便利な言葉ですね。面と向かっての反論がしづらくなります。

私が指摘した点は、部品が入手できずに納期を守ることができなくなったサプライヤーの対応についてです。つい最近でも、日本の大手自動車メーカーが、部品納入遅れによって工場で生産を停止する事態が発生しました。従い、私はこのような部品の納入遅れという事態を、ある程度想定して準備することがバイヤーの責任と考えています。

ところが、今回納期遅れを申し出たサプライヤーに、自社でセカンドソースにアクセスした痕跡が無い。一旦設定したサプライソースから、納期が遅れる旨連絡があった。次のアクションは、我々への報告です。そして、報告を受けて、世界中からかき集めるアクションへと続く。サプライヤーではなく我々がやるんです。

確かに、部品の納期遅れは、一義的にはサプライヤーの責任ではないかもしれません。でもそれは我々も同じのはずです。一緒に解決する事も必要でしょう。でも、動くのもコストの負担も、何もかも我々であるのはおかしい、私はそんな内容を指摘したのです。すると、今度は下請法対象メーカーだから……と。この辺でやめておきます。

これまでに挙げた例は、一方的にサプライヤーへ押しつけるか、一方的に自社が背負い込むか、その極端な二択、ある意味両端なわけです。なぜ真ん中がないのでしょうか。

真ん中、痛み分け、間を取る。すべてにおいて必要なものは、もう一方の当事者との調整であり、交渉です。そして、調整・交渉に際しては、なぜ起こったのかという原因がが重要になります。まさに、原因と犯人の追及です。何か解決すべき問題が発生したとき、「今、犯人捜しをしている場合ではない」という事が言われます。ほんとうでしょうか。社内で発生し、社内で対策できる場合には正しいかもしれません。しかし、利害関係が存在するサプライヤーとの間では犯人捜しは不可欠です。解決するために発生するコスト負担を誰が行うかを明確にするためです。確かに、バイヤー・サプライヤーとの間に発生した問題は、最終的にお客様へご迷惑をかける話になります。したがい、犯人捜しにやたら時間を費やすことはできません。しかし、犯人捜しなくしては、論理的に整合性のある、それこそ下請法に抵触しない費用負担をサプライヤーに求めることはできないのです。

極端な二択における二つの選択肢には、そういった手間のかかる調整が不要です。そして、二つの選択肢にはもう一つの問題があります。事前のアクションです。どちらも、事前になんらかのアクションを行っていれば回避できた可能性があるわけです。それを、一方的にサプライヤーに押しつけている、もしくは、一方的に自社のリスクとして抱え込んでいるといえます。一方は、サプライヤーとの信頼関係を、もう一方は社内とのそれを損なう結果になります。

私が尊敬するバイヤーが、優秀なバイヤーの条件として最も重要なものとして「バランス感覚」を挙げていました。上記のような例に遭遇する度に、思い出されます。バイヤーにとってのバランス感覚とは、一つには、利害関係のある二者、バイヤーである自分とサプライヤーを取り持つこと。そしてもう一つは、自社の今・過去と将来を取り持つことであると考えます。極端さは、時には必要です。戦後実施された政府の経済政策である、日本の高度成長の礎の一つに、昭和20年代に行われた傾斜生産方式による、鉄鋼・石炭への重点投資があります。非常に極端な経済政策であったために、後の負の側面としてインフレを引き起こしました。極端な発言とそれに基づく行動には、その反動があること。それは時を同じくせず、多くの場合後になって明らかになること。そのように時系列で原因と結果が繋がる事象に対しても、バランス感覚を持ち、その影響も踏まえて、自社のデメリットに配慮できたら、と私は考えてます。

間を取る、真ん中とは、なにか曖昧さの象徴のように思われ、時に敬遠されることさえあります。しかし、バイヤーが積極的に主導権を握りつつ選択した真ん中、バランス感覚を持って決まった事には、極端さによる決定よりも何倍も当事者すべてへの満足を得やすくないだろうか、そう確信しているのです。

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