「一瞬で美女をオトせる」
「女性を思い通りに動かす心理テクニック」

このようなタイトルの本が書店に並んでいる。どんな時代にも、このテのニーズは絶えることがないのだろう。ところで、この類の本を立ち読みしていると、ある心理学者の研究を単に応用していることに気づく。

今回と次回は、数式を多用したものではなく、やや定性的に「交渉」というものについて書いていきたい。「一瞬で美女をオトせる」という内容にニーズがあるように、意外と「交渉」についてのニーズもまだ大きいものだからだ。

これまでいくつもの交渉術というものが世に出されてきた。『ユダヤ人の交渉術』『土壇場の交渉術』『相手に買ってもらうための交渉術』という感じのタイトルがつけられ、そのバリエーションはたくさんある。ベストセラーとなったものも多く、なかでも『ハーバード流交渉術』『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』などはなかなか読ませる。

これまで、私は交渉術の類のものをずっと否定してきた。「交渉はバカがやること」とまで言ったことさえある。もちろん、それは「交渉をやるべき状況を生み出す前に、交渉が不要な仕組みをつくりあげるべきだ」という意味だった。それはある種の理想論であり、誰もが簡単にできることではない。それに、私だっていつも交渉している。

しかし、交渉というものをできるだけ少なくしていかねばならない、という思想は持っておいたほうがいい。驚いたのは、意図的にそのような言葉遣いをしているということに気づかず、「交渉はバカがやること」というフレーズにストレートな怒りをぶつけてきた人がいたことだ。ただ、そのことについて私はいまさら言いたいことはない。

考えてみるに、交渉を行う場というのは、Win-Winの状況を目標とするものであれ、相手にこちらの要求を呑ませるのであれ、なんらかの譲歩かパラダイムの変更が必要となる。たとえば後者は、このような話がよく例えにだされる。

「あるところにミカンを買いたい人が二人いました。一人は最初に100万円で買うといいました。すると、もう一人は110万円で買うと言いました。すると、あっという間に値段は上昇し続け、二人の提示した金額は200万円にいたるまでになってしまいました。すると、一人が言いました。『あなたはなぜそんなにミカンがほしいのですか』。もう一人は答えました。『ミカンの皮でマーマレードを作るためです』。質問した人は驚きました。『そうだったのですか。私はミカンの中身でジュースを作ろうと思っていたのです。皮は必要ありません』。もう一人は続けて驚きました。『じゃあ、ご一緒に購入しませんか。それならば200万円なんて必要ありません。二人で50万円もあれば買えるでしょう』。そうして二人は一緒にミカンを購入し、かつ互いの店で商品を紹介しあうことにより、売上げを伸ばしていきました」

という寓話である。

これは示唆に富んでいるものの、問題も孕む

1.もし同業者であれば、このWin-Winはそもそも成立しないのではないか
2.このように解決策を見つけられる場合は良いが、まったく存在しない場合もあるのではないか
3.もしどちらかが合意しない、あるいは「二人で50万円」というときの折半金額を他者より少なくしたいと願った場合もあるのではないか

そして、多くの実務の現場では、まさに3.が問題となっているのである。

もちろん、さまざまな人はいる。しかし、バイヤーとサプライヤーのあいだには、「両社がビジネスによって利益を得て、お互いがトクをしましょう」というくらいの前提は持っているものである。その前提すら持ち合わせていない場合は、交渉云々以前の段階である。両社はその点で合致しているものの、その費用分担の比率でモメているのだ。だから、いまさら交渉のWin-Winを、「両社が利得を得ましょう」という意味で説いても「そんなの最初からわかっているよ」で終わりになる。「それがなかなかできないから難しいじゃないか」と。

そこで、単にWin-Winを目指す、ということだけではなく、やはり相手にこちらの要求を呑ませるという側面が必要になってくる。「Win-Winの状況を目標とするものであれ、相手にこちらの要求を呑ませるのであれ」と私は別物のように書いたけれど、実務上はさほど変わらないものになっている。これが哀しいことかどうかはわからない。

そこで、どちらかというと、Win-Winを目指すものよりも、「相手にこちらの要求を呑ませる」という視点に立った実利的な交渉術のほうが「読ませる」し「役に立つ」ことが多い。まずはできるだけ交渉を避けるしかけを準備しておき、どうしても交渉が必要になったときには、こちらの要求を通すこと。これが肝要なのだ。

何かの商品を売るときに、買う側が頭を下げてきたら、その時点で交渉の必要はない。もし価格について交渉してきたとしても、売り手がその相手に必ず売りたいと思っていなければ、交渉でどちらが有利かは自明だろう。ほんとうの交渉術が必要となる場合は、その逆の立場、上記でいえば買い手の立場になったときである。

ところで、交渉術のほとんどが、すぐれた臨床心理学者たちの成果を利用しているということをご存知だろうか。退行療法やトラウマ治療、覚醒や、ある言葉では催眠術と呼ばれるものまで、それはさまざまだ。相手にこちらの要求を呑ませる交渉とは煎じ詰めれば、「相手にこちらの指示を聞いてもらう」ことにほかならない。とすると、相手の心に介入していき、籠絡するという臨床心理学者たちの実践は、きわめて交渉術に応用が利きやすいということになる。

有名な心理学者はユングやフロイトといった偉人たちだが、交渉という観点で影響を与えた臨床心理医としては、ミルトン・エリクソンの名前を挙げないわけにはいかない。氏は著作が少ないけれど『感覚、知覚および心理生理学的過程の催眠性変容』や『ミルトン・H・エリクソン書簡集』といった優れた刊行物、あるいは『ミルトン・エリクソンの催眠療法入門』といった解説書もある。

NLP(神経言語プログラム)という言葉を聞いたことがあるかもしれない。これはこのミルトン・エリクソンが原点となっているといってもいい。エリクソン派と呼ばれたこの集団は、天才的な教祖を通じて、卓越した業績をあげていく。しかし、ここでは学術的な業績を紹介し、衒学的な文章を書くことが狙いではない。あくまで実務的にどうそれを解釈し、利用していくか、にある。

エリクソンの発見した心理の一つは、相手を操作するときに、まず相手の「空間」に入ることだった。相手の「空間」に入り、そこで相手と同化してしまえば、相手を動かせる。氏はそう考えた。これは単純なことだけれど、恐ろしい「発見」である。それまでは、外部の主体として第三者を操ることが研究されていた。しかし、それではうまくいかない。まず相手の「空間」に介入して、同化することで、相手は動き出すのだ。

やや「一般語」に置き換え考えてみよう。よく「交渉では、話しすぎると失敗します」とよく言われる。「相手のことを聞き、ずっと聞き、会話の2割以上あなたが話したらもうダメです」と。これは、相手に話をさせ、情報を引き出しその情報空間のなかに介入していく、ということである。

また、営業のテクニックに「相手の仕草を真似しなさい」というものがある。相手が腕を組んだら、こちらも腕を組み、笑顔になればこちらも笑う。言葉や態度、手振りを真似する。この手法も、相手の情報からその情報に同化、一体化して相手に介入していく方法の応用だ。

こちらが情報を出せば、相手はそれに反発する。いや、反発せず、深い合意をしてくれたとしても、それはこちらに同化してくれたというだけのことで、相手に同化することにはならない。まず相手からさまざまな情報を与えてもらい、その情報を空間いっぱいに広げて皮膚呼吸をするかのごとく相手に介入していく。

相手は、目の前の人が「自分に介入している」とは気づかない。介入したうち、ゆっくりと相手の行動を変え、いつの間にか気づいたら操られていた……、ということが起きるようになる。

これはこれまで語られてきた「交渉術」とはかなり性質の異なるものかもしれない。根本的な意味で「交渉とは何か」ということを私はずっと考えてきた。そして、私はエリクソン派のアプローチが現代交渉術の基礎になっていると思い当たった。

繰り返すが、まずは「相手に介入すること」が必要である。そして、エリクソン派の発見はここに留まらない。人間とは、物理的な状態と情報の状態を区別できないという「できそこない」の性質を持っている。それを応用する方法が、この次に待っている。


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