・この不景気のほんとうの問題とは何か

景気の後退を知らせるニュースが続いている。リーマンショック後にやっと回復が始まったかと思えば、まだ本格的な高揚にはほど遠いという。日経平均だけではなく、ダウなどのインデックス指標もまだ弱気な値が続く。証券会社から業績の上方修正が報じられたが、まだ銀行、ノンバンクや製造業その他の業界では、低空飛行のままだ。大型の倒産(民事再生法申請)も勃発している。

「不景気こそチャンスだ」と言うのはたやすい。しかし、その前に、現在の構造の問題を明確化しておくことが先ではないか。おそらく、このリーマンショック後の世界が明らかにしてしまったことは、金融工学の限界ではなく、それに付随していた旧来的な産業構造の限界だったのである。

これまで、金融経済が実体経済にどれほど影響を与えるのか、という議論がなされていたことがある。マネーの世界がどのように動こうが、製造業を中心とした実体経済に与える影響は微細ではないかという論議が、それこそ何百回と行われていたのである。

しかし、今回のリーマンショックでは、金融上の「事件」が実体経済に多大な影響を与えてしまうことを証明してしまった。まるで製造業が金融業の走狗であるかのごとき姿を露にしたのである。

これまでの製造業の利益源を見てみよう。それは、明らかにアメリカの独占的ともいえる資源のムダ使いにあった。ヨーロッパ市場への参入が騅逝かずに暗澹としていた日本製造業を救ったのはいつでもアメリカ消費者たちの貪欲な行動だった。それはBtoCの世界だけではなくBtoBの世界によっても同様である。もちろん、アジア圏の国々に対して販売することで好調な利益をあげている日本企業もありはしたが、それでもなお比率ではアメリカがダントツだった。

つまり、「モノを作る国としての日本」と「モノを消費する国としてのアメリカ」が奇跡的なカップルとして存在していたのである。本来は通貨高とは、自国通貨の価値が上がるために、自国に愉悦を与えるものであるが、日本においては「円高こそ悪」という倒錯した構図がまかりとおっていた。

その産業構造を受けて、これまでは異常とも言える円安が進行していた。ゆえに、その奇跡のカップルは破綻することがなく、安穏とした日常を送っていたのである。ではなぜ、そのような異常とも言える円安が進行していたのか。それは、日本政府がアメリカの赤字国債をせっせと購入していたことに原因を見る識者が多い。アメリカがムダ使いゆえに赤字国債を乱発する。弊履と化すかもしれないそれを日本と中国が買い集める。それによって本来であれば円高になってしかるべきところ、円安を「演出」したというのである。

ここではデータ提示は省くものの、それを裏付ける定量的な証拠もある。つまり、日本の数年前までの好景気は、「官民複合体」ともいえるべき「円安演出家」たちが創りだしたものだとも言える。逆にその悪影響を受けたのは、日本国内の輸入業者たちである。主に日本政府は製造業を中心とした旧来産業構造を温存し、きたるべき新型産業構造創出の機会を奪った、ということもできる。

・通説はどこまでほんとうか

そこまで考えたとき、不況を説明するいくつかの理由が、やや空疎なものに感じられる。

「日本の不況は、グローバル化の遅れにある」という指摘はほんとうだろうか。グローバル化の遅れというよりも、単に産業構造の転換が遅れただけではないのか。その指摘者の心の中には、「輸出産業は為替の影響を受けやすい。だから、為替の影響を受けないように、グローバル化を加速させるべきだ」というテーゼがある。

しかし、重要なことは「輸出産業からの脱皮」ではなく、「他国の過剰消費に支えられた産業構造からの脱皮」であるはずだ。グローバル分業がなされていたとしても、なされていなかったとしても、それが最終的には他国の過剰消費に支えられている以上、根本的な解決にはならない。

「グローバル水平分業が進んでいなかった企業が不景気にあえいでいる」という指摘も、ほんとうだろうか。当初はそれなりに聞こえたこの指摘も、前述のコメントと同様に誤謬ではないか。水平分業ではなく製品、あるいは産業の利益構造そのものにあるように感じられる。

私が現在進めている内容は、批判に留まって、「では、どうすればよいのか」という視点に欠けているという再批判もあるだろう。しかし、繰り返し、これは現状を分析し、問題を抉り取ることにこそある。ゆえに、打開策は別の機会に譲るとして、まだ現状分析を続けよう。

・没落する企業の特徴

現在、次のような取り組みを行っている企業は注意したほうがいい。「歴史は繰り返す」というテーゼが是であるとするならば、これまで没落する企業が繰り返していたことだからだ。

1.誰もができることを、最も安くやろうとしている

誰も(発展国)ができることを、日本のテクノロジーと経験をもって、さらに安価な製品を作ろうとする試みは常に頓挫してきた。先進国で多少安い製品ができたとしても、それは時が経てば、やがて発展国の製品に置き換わる。それは労働単価の差異を考えるに必然なのである。付加価値経営という観点からも、過ちは自明だろう。

2.産業構造、あるいは製品ラインナップを変えずに、販売対象や営業手法のみを変えようとしている

繰り返すのは止めておこう。産業構造と、現在の製品群そのものに問題が内在しているのだ。短期的には販売対象を拡大することで急場をしのぐことができるかもしれない。ただ、やはりそれは根本的解決ではない。

そして、上記の1.2.にあてはまる企業はどこだろうか。残念ながら、ほとんどの日本の製造業があてはまる。おそらく、やや景気が浮揚してきたことが逆説的に日本産業構造の転換を遅らせてしまう可能性すらある、と私は思う。

考えるに、わずか数十年前の世界の産業構造と、現在のそれは大幅に異なったものだった。日本は幸運にも重厚長大な産業が生き残ってはいるものの、それはグローバルな構図とはだいぶ異なるものだ。

もしかすると、あえてこう言うべきときかもしれない。製造業や小売業とはモノを販売する業種ではなくなっている。製造業や小売業とは、モノを売るように見せかけて、その背後にあるコンテンツとデザインを売る業種になったのだと。まさにアップルやアマゾンが実践しているように。

もちろん、その姿は、長い間にわたって日本製造業に従事してきた人が反感を抱く予想図ではある。ただ――、と思うのだ。これまでの時代の転換点にも、旧来構造を保持しようとする勢力はいた。そして、その保持者は、自分が保持していることにも気づかず、旧来構造の素晴らしさを喧伝する。しかし、着実な変化は起こっていく。

・見えぬ将来像、とりあえずの結論として

「調達・購買とは、もはやモノを買う仕事ではない」とかつて私が言い、「情報や、サプライヤーの発意を調達し、それを広げる役割を持つ」と付け加えたのは、あながち間違っていなかったように思われる。

やや抽象的なきらいのある私の発言は、モノ中心主義から、コト中心、カタ中心産業への発展を謳ったものだった。それは、これまでの産業構造とは一線を画し、製造業として生き残りたかったら、モノを生産しない製造業にならねばならない、という逆説を突きつけるものだ。

それは、リーマンショック後の不景気によってもたらされた日本製造業の危機が、残念ながら明らかにしてしまった「不都合な真実」なのである。そして、調達・購買部門のこれからの真の役割について真剣に考えるときがきている。

もちろん、それは単純な「海外調達の推進」ではないことは明らかだ。

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