2009年は、100年に一度という不況に見舞われ、我々バイヤーもその波をおおいに受けた一年といえる。年が変わったといっても、経済情勢が大きく変化することもない。各ビジネス誌の2010年予想では、景気の二番底への懸念が叫ばれているが、私は2010年を面白おかしく生き抜くキーワードとして「だからなに?」を挙げたい。景気の二番底が襲ってきても「だから?それがどうしたの?」と涼しい顔で、淡々と生きてゆきたいのだ。ボーナスが減らされたり、給料が減らされたり、なかには職そのものを奪われたりすることもあるかもしれない。生きてゆく糧の存在が揺らいでいる状況だ。しかし、景気が二番底まで落ちることを自らの手で止められはしない。

 

こんな例がある。景気が後退し、需要減退が発生。我々バイヤーのバイイングパワーの源泉の一つである購買量が減少し、サプライヤーへの影響力が減少する。購入量が減少しても、コスト削減目標の絶対額は確保するぞ、と社内的な大号令がかかり、目標が一気に上積みされる。期限は年度末まで。多くの日本企業では決算を迎える3月末である。企業トップじきじきにコスト削減額をフォローすると言い出し、バイヤーは普段の業務を知らないマネジメントに分かりやすく伝えるため、コスト削減の進捗状況を分かりやすく説明する資料作りに忙殺される。資料が分かりやすくなった頃には、当初から分かっていたはずだが、上積みされた目標への到達可能性がほぼゼロとなり、今度は到達できない妥当性のある説明資料作りに奔走する。さて、ここで質問。多くの会社でありがちな一連のアクションに、新規需要創出に少しでも繋がる具体的な動きは含まれているだろうか。

 

景気の悪化にともなって、自分たちが受ける影響にのみ注目すると、このようなアクションとなる。貴重な人的リソースを駆使しても思い通りのアウトプットは生まれない。それどころか、忙殺され奔走に疲れた社員が、疲れきったまま新年度へ突入する。当然、前年度の反省を踏まえた新年度の計画などない。海図を持たずに航海にでるようなものだ。いったいどこへ向かうのか。

 

我々は景気に影響を受けていると同時に、景気の演出者でもあることを忘れてはならない。景気悪化させているのも又我々だということ。だから、まだ乗れる車を買いかえろとか、大画面テレビを買えとかそういうことを言いたいのではない。景気悪化という状況に対して、状況に即した正しい対処をすべきだと思うのだ。例えば、景気悪化にともなって生まれるバイヤーにとって有利な環境にはこんなものがある。

 

1.サプライヤーが、仕事量の減少に悩む 

→ 空いたところを狙って新規サプライヤー開拓

2.1社あたりの発注量が減少する 

→ 1社あたりの発注量増大を目指してサプライヤー集約

3.1社あたりの発注量が減少する 

→ 1社あたりの発注量増大を目指して共同購買

4. 製品単位あたりの発注量が減少する 

→ 製品あたりの発注量を増やすために標準化・共通化

5. デフレによる価格下落 

→ ほっていくだけでコスト削減

 

上記の1~4の項目は、好不況に限らず、調達・購買・資材界での有効なアクションだ。不況という、それも100年に一度の追い風が強くバイヤーの背中を押しているのだ。このチャンスをどうやって掴むか、今バイヤーはその点にのみ集中し、行動を起こすべきときなのだ。

 

しかし一方で、どんな戯言でも経営幹部の指示の持つ意味は大きい。その指示内容に見るべきものがなくとも、その指示を素直に聞くか、捨て置くかで、残念ながら会社員としての評価が決まってしまう。悲しい性ではあるが、戯言的指示であっても、その声に耳を傾け、指示者を納得させるだけのアウトプットを出しつつ、さらに100年に一度の追い風を受けて、この大いなるチャンスを掴まなければならない。それには、景気の波に翻弄されるのでなく、景気がよかろうと悪かろうと「だからなに?」と涼しい顔でやり過ごすこと。個人として、全てのことが昨日より良くなっていくことを意識し、その意識を行動で示すことでしか、この難局は乗り切れないと確信している。

 

さきの例に当てはめれば、後ろ向きな資料作りに忙殺・奔走している場合ではない。そのような資料など鼻歌交じりでさっさと作って、自分としてほんとうの仕事をする時間を創出する。昨日処理に10分費やした仕事があれば、今日9分30秒で終えるためにはどうすればよいか、そんなことを愚劣にも日々、仕事の時々で実践して、数秒・数分を自分で積み上げていくしかない。それには、ほんとうに重要なものと、それ以外を見分けて、重要でないものに囚われないように生きてゆくしかないのである。

 

重要でないものに囚われないためにはどうすればよいか。簡単で、すぐにでも実践できる方法は次の5つである。

(1)テレビのニュース番組を見ない

(2)新聞を読まない

(3)週刊誌・ビジネス誌を読まない

(4)ネット上のニュースサイトを見ない

(5)言いっぱなしの依頼は無視する

 

新聞を読んだり、ニュースを見たりすることは、社会人として最低限やるべき基本である。確かに重要な取引先・ビジネスパートナーの動きが新聞紙上で報じられた事を知らないのは、ビジネスパーソンとして問題があるとの評価を受けてしまうであろう。しかしそんな問題を解決してくれる様々なネットのサービスが存在する。例えば、Googleのアラート機能( http://www.google.co.jp/alerts?hl=ja&gl=jp )だ。気になる会社の名前をキーワードとして登録し、ニュースが報じられたタイミングで携帯電話のアドレスへ配信される設定をおこなえば、新聞で読むよりも早い情報入手が可能だ。

 

ここで非常に重要なのは、キーワードの設定方法。その設定キーワードが多すぎれば、アラートメールの閲覧に忙殺されてしまう。最低限知っていなければならない内容とはなにか?を自分で突き詰めることも、非常に興味深いアクションとなることが、実行して頂いた暁には、ご理解いただけるはずである。

 

そしてもう一つ、2010年は今の日本にとって象徴的だ、とマスコミで喧伝される出来事がやってくる。GDPが世界第二位から世界第三位へとなることが確実視されていることだ。折しも2010年に上海で万国博覧会が開催される。日本が世界第二位となった年が1968年、発表されたのが1969年半ばで、翌年に大阪万博を控えていた。確かに、そういう意味では中国の2位、日本が3位となることを象徴的に捉えることもできる。既に、少しだけネットを検索しても日本の凋落を憂う記事が、昨年の7月頃から登場する。中国のGDPは、2020年には米国を抜き去る可能性すらあるそうだ。マスコミは日本凋落、没落論を展開するだろう。

 

でも確信を持ってこういうべきだ。「だから、どうしたの?」と。

 

国民一人当たりの数値では、依然として大きな差がある。そして今の日本は人口が減っているのだ。GDPの順位が二位から三位に下がったからといって、突然まわりの景色がセピア色に変わるわけでもない。既に中国に抜かれたヨーロッパの各国は気に病んでいるそぶりなど微塵もない。そんなことを気に病むくらいなら、目の前の出来事を見極めて、ほんとうにおこなうべき仕事を淡々とおこなうべきである。そんな普段の積み重ねが、自分たちの生活を、国のGDPを形作っていることを忘れてはならない。もし、GDPの順位が二位であることに意義があるのなら、国民が一丸となって再度抜きさるアクションをといればよい。GDPが世界第二位である意義を明確に感じられなければ、大勢に影響はない。是非とも「だから、どうしたの」で通すべきテーマなのである。

 

昨今「格差」という言葉をキーワードにして、いろいろな事が語られる。格差については、以前の記事で述べているので多くを語ることはしない。しかし、私は格差論に相対するために、そして自分が格差論に苛まれることなく、自分らしく面白おかしく生きるために、些末なことに目を奪われない自己の確立が今、一番必要なのである。悲観論を振りかざすその他大勢に惑わされることなく、一人一人が昨日よりも良い明日を目指す。そんなことでしか、今の状況を打開する術はない。

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