現在、日本経済の復活に向けた方策が政治家たちのあいだで議論されている。一つの尺度はGDPというもので、国民全体の生産量をいかに増やすかについてさまざまなアイディアが出ている。GDPの成長率など関係が無い、という人もいるが、これは大変重要な尺度である。たとえば、年率3%の成長を続けることができれば、

1.03^25≒2.093

と、25年間で倍以上の国民所得が実現できる。25年経てば、年収1,000万円の人が2,000万円になるわけで、その豊かさの拡大はすごいものだ。

「経済成長がなければ、私たちは豊かになれないのだろうか」という哲学的な問いはあってもいい。ただ、金銭的享受は、豊かになるための大きなファクターであることは間違いがない。もちろん、成長率がゼロのままでも精神的に豊かになる可能性はなくはない。だけど、上記の意味で、やはり成長そのものを放棄してしまうわけにもいかない。 7%の成長率をあげている先進途上国はたくさんある。それを同じように累乗の計算を してみれば、彼らの生活がどれだけ向上しているか知ることができるだろう。

さて、GDPを簡単にあげる方策を私は持っている。

それは、日本の時間を一日48時間にすることだ。もちろん、日本だけ神の仕業のように実際的な時間を引き延ばすことはできない。だが、日本国民が、一日48時間になったかのようにそれを信じて、これまでの倍以上のスピードで仕事をし、余暇を愉しみ、生活を営むのである。

これはバカげた提案だろうか? そうかもしれない。

しかし、実際実行すれば、確実にGDPは倍以上になっていく。もちろん、効率の低下などの問題も生じるだろうが、理論的にはじゅうぶん可能なことなのである。しかし、それにしても--、やはり無理ではないか。そう思う人もいるだろう。

このやや衒学的なきらいのあるこの方策は、じゅうぶん可能ではないかと私は思っている。まったく同じ時間を与えて、100しかできない社員と200こなせる社員がいる。前者と後者を比べれば、そこに2倍の開きがある。後者のワザは効率性が実現させる。同じ労働8時間であっても、アウトプットが異なることがある。いや、ほとんどの場合一緒のアウトプットということはありえないだろう。それだけ、個人差が生じている。おそらく、後者になるための秘訣には三つあるだろう。

1.質ではなく量こそが大切だ、と割り切ること
2.100点ではなく60点を目指すこと
3.量をこなす、ということ自体を快楽とすること

である。 1.の「質ではなく量こそが大切だ、と割り切ること」はこの中でももっとも大切なことのように私には感じられる。中谷彰宏さんは莫大な書籍を刊行し続けており、年間50冊に及ぶときもあるという(!)。氏は、いくつかの書籍で、かつて広告代理店のクリエイターをやっていたときの経験から、コピーを書くときは、自信作を一つだけ考え抜くのではなく、ボツを含めて何千というアイディアをただひたすら列挙することが大切だと述べている。一つの質を高めるよりも、何千というアイディアのなかから、 キラリと光るものを選んだほうが良いからだ。すなわち、質とは結局のところ、 莫大な量のなかから生まれるのである。

その量がいつしか質に変容していく。質を極めたければ、まずは量を極めよという逆説がそこにはある。まず私が「量」を薦めるのは、量をこなすというのが、私を含めた凡人にとっては最高の練習になるからである。天才であれば、一つの仕事にじっくり取り組んでも良いだろう。しかし、凡人はありえないほどの量をこなすことで質に転換していくほかない。

GDPを倍にするためには、2倍速く動けばいいといった。それは個人としては、通常の倍の量をこなすということだ。そこにはある種の「割り切り」が要る。それが、2.の「100点ではなく60点を目指すこと」につながる。もちろん、1.と関連付けるのであれば、それは「60点でもいいからそれを継続していれば、100点に近づく」ということになる。この「完璧を目指さない主義」は多くの人が取り入れているけれど、 私はもっと推し進めた意見を述べておきたい。

それは、「100点ではなく、60点こそ素晴らしい」ということだ。 これは逆説的ながら、私が信じていることでもある。なぜか。それは60点でなければ、長続きしないからだ。

ビジネスマンに必要なのは、継続力である。一回だけ面白いことができたり、一回だけ何かを成功させる、ということであればたやすい。しかし、ホームランでなくヒットでよいから、それを継続的に生み出すことこそ必要だ。だから、100点を狙っていては いつか行き詰る。60点でよいから――、もしかするとそれは目立たないかもしれないが――、それを多産することこそ重要になるのである。

そして、3.「量をこなす、ということ自体を快楽とすること」につながる。すべての人間は快楽を求めて行動を起こす。不快を求めて行動を起こす人などいない。とすれば、量をこなすこと、60点でも良いから仕事を多産することを快楽にしてしまうことが 肝要なのである。

それはいうことはたやすく、実現は難しい。おそらく、多くの量のなかから、自分がホメられる、あるいはそのなかかでささやかであっても成功するという経験が不可欠だろう。仕事をたくさんこなせば、関わる人たちも多くなっていく。

多くの関わりの中で、新たな発見をしたり、新たな可能性を見出したりする、ということが理屈抜きに愉しいという実感がなければいけない。ただし、このことはいえる。1の仕事よりも、100の仕事をこなしたほうが、苦しいこともある反面、悦びも増えていく。1の仕事よりも、100の仕事をこなしたほうが、人生の糧となってくれるかけがえのない人に出会える可能性も増える。

現在、「レバレッジ」という言葉が流行っているせいか、その真意を誤解している人が 多くなったようだ。これは、決して少ない仕事で大きな成果をあげようとするものではない。むしろ逆に、少ない努力で多くの仕事をこなし、そのことで圧倒的な悦びを得る技術なのである。この言葉を流布した本田直之さんが、あれほど莫大な著作と仕事を 生み出し続けている姿を見てみればいい。それは、いくつかの仕事だけで万馬券を狙うありようではなく、むしろ数多くの仕事から着実に成果を求めるという確率論的なありようなのである。

芸能に携わる人たちは不幸だ。そこでは、才能がある人たちが必ずしも生き残らない。もちろん、努力にも関係がない。単なる運の世界である。かつて一世を風靡した人が 才能にもかかわらず、ある瞬間から忘れ去られるときがある。それに対し、ビジネスの 世界では努力は、かならず成果が出る、というくらいは信じてよいと思う。多くを出せば、多くが戻ってくる。心理学用語でいうところの「返報性のルール」は、間違いなく存在している(* 他者に何かを与えた人には、必ず見返りがあるというルール)。

その恵みを享受するためには、まず与えることが必要だ。そして、与えるとは、ビジネスマンにあっては、まず多量の仕事を人の倍の速度でこなすことだ。また、これは日本全体のGDP向上にまでつながるのである。

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