ある尖兵の憂鬱

ある尖兵の憂鬱

ある人からの呼びかけを見ていて、ふと思い出したことがある。
ずっと以前、私がまだ駆け出しのバイヤーだったころに聞いた話だ。
倉庫で荷物の受領担当をしていた大先輩がいたのだが、彼はある鉱山で、採鉱屋として働いた経験を持っていた。採鉱屋の仕事はその鉱山内で有望な鉱脈を探し、鉱山の次の採鉱計画を作ってゆくことである。この場合、「有望な」というのは、「低コストで操業できる」と言い換えてもよい。
いわば採鉱屋は鉱山の尖兵だ。彼らの表向きの仕事は鉱脈を探すことだが、それは同時にその鉱山の寿命を知ることでもある。彼は若い一担当の身でありながら、徐々に悪化してゆく採算と、そしてやがて来る閉山を直視しながら仕事をする立場になった。
彼は当然生まれ育った地元の鉱山で働き続けたい、と思っていた。しかし、ある日、もう限界だと気づいた。自分の力では、命脈が尽きようとしている鉱山の運命を変えることはできないのだと。
そう悟った時、彼は周りの人に転職をすすめて回った。今ならまだ有利な条件で違う仕事につける、と。でも皆は、鼻で笑った。こんなに大勢が働いている、歴史のある鉱山が閉山なんてする訳ないだろうと。
しかしその時は容赦なくやってきた。金属価格の長期低迷で、その鉱山はあっという間に採算割れし、閉山を迎えることになった。幸い、彼は次の職を見つけることができたが、周りの人に何かできることがあったのではないか、との後悔を抱えていた。
この話には、我々日本のバイヤーにとって重要な教訓が、含まれてはいないだろうか?「やっぱりもの作り」と馬鹿の一つ覚えのように言っていて、本当にそれでいいのだろうか?
心配性と言われようと、私は本気でそんなことを日々考えている。もちろん仕事中にもだ。

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