価値と無価値、感動と無感動(1)

価値と無価値、感動と無感動(1)

「なんでこんなに高けぇんだよ!」

設計部門のグループリーダーは、バイヤーに向かって大声を上げた。

ある製品プロジェクトの途中報告会での出来事だった。

その製品はヨーロッパにも出荷する予定で、その企業の目玉製品だった。プロジェクトには各部門から気鋭の社員が集められていたのだった。

プロジェクトの中で、そのバイヤーが担当していたのは、マザーボード搭載部品だった。

確かに、当初の目論見よりも高くなっていた。

しかし、その部品は当初の設計仕様よりも、最先端の技術を詰め込んでいる。

設計の担当者も「高いが、製品の魅力度のために、これを搭載したい」と言い、バイヤーとの間でも合意はできていた。

バイヤーは、担当の部品のコストについて説明した。

どういう価値があるのか
最先端の技術部品であり過去の購入部品とは比べられないこと

しかし、そういったことも設計のグループリーダーには関係がないようだった。彼が見ているのはエクセルにインプットされた「数字」。

たかがマザーボードに搭載される部品でこんなに高いはずがない。

だから、まず開口一番、こう言ってしまうのであった。

「なんでこんなに高けぇんだよ!間違ってんだろ!」と。

そのあと、その部品は結局、使わないという決断がなされた。

元の通常スペックの部品に戻ったとき、他社が「その最先端技術を搭載した新製品を開発し、ヨーロッパ市場に投入する」というニュースが流れた。

市場での対決の後、バイヤー企業の製品は敗北した。

・・・・

そのバイヤーは私だった。

開発購買--、この言葉を聴くたびに上記のエピソードが思い出される。

果たして、開発購買は設計の上流に入り込んで、コストを下げるためだけに存在するのだろうか、と。

「最適な提案をするために開発購買はあるのだ」

誰もがそういう。

しかし、私の経験上、コストが下がること以外で開発購買の成果として認められた例は今までない。

もっと言えば、開発購買によって「製品コストは上がったが、それによってそれ以上の売価アップが市場から認められた」という評価を耳にしたことがない。

開発購買というのは、製品の魅力を上げるためではなく、単にコストを下げるだけのために存在する、と言っても現状ではなんら支障がない。

むしろ、「そうだ。そのためだけに存在するのだ」といわれると、私は非常に違和感を感じてしまう。

あえて断言するが、コストを下げるためだけに購買の一組織が存在するのであれば、人間がやる必要はない。日本人がやる必要はない。

設計の上流に入り込んで、安い部品を紹介するだけなら、完璧なデータベースシステムを作ったほうがいい。

日本人の給料一人分で、机を叩いて交渉してくれる中国人バイヤーを10名ほど雇ったほうがいい。

もう単純な購買では、他国の労働者に仕事を奪われる日が近づいている。

無料で最強の調達・購買教材を提供していますのでご覧ください

mautic is open source marketing automation