災害、祈り、希望②

災害、祈り、希望②

1.ネガティブなことではなく、ポジティブなことを

緊急事態が起きると、常に各社・政府の対応を批判しようとする人がいる。彼らはぎりぎりの状況において、ジャッジを繰り返している。東京電力の対応や政府の会見にまずいところがあったかもしれない。ただし、それを批判することにパワーを使ってはならない。ネガティブな対応は誰だってできる。しかし、ネガティブなことだけに力を注いでも、それは何ももたらすことはない。

2.専門家への信頼を

原発報道について、「情報隠蔽が起きている」と述べている人がいる。専門家たちは、同じく少ない情報のなかから、有益なアドバイスを抽出しようとしている。その努力を認めなければ、誰だってアドバイスを発信しないだろう。平時に専門家を批判しても良い。だが、急時は専門家たちの叡智を信頼しようではないか。私個人的な経験でも(私は原子力事業に関わっていた)、さほど壊滅的な事態になるとは思えない。また、緊急時に専門家を信頼することができなければ、何を頼りにするのだろう。

3.柔軟さへの寛容を

東京電力の措置について批判が集まっている。計画停電が実行されなかっただとか、エリアがわからないだとか。もちろん、同社に改善の余地はあっただろう。しかし、緊急時に対応が柔軟になるのは、当然のことである。例外処理やルール外の行為も多く見られるだろう。ただし、それを寛容に受け入れるしか私たちにはない。これは東京電力の対応だけを申し上げたいのではない。これから続く、多くの例外処置に対して、私たちは寛容にならなければならないのである。

あとは、繰り返し、個人でできることをやるだけだろう。まずは、各種リンク集だ。これらを保存しておき、万が一に備えるしかない。
http://bit.ly/eWHWhp

また、冷静に行動するために、このようなときこそ、専門家の知恵を借りるべきだ。もっとも信頼できる、「原発に関するQ&Aまとめ」がある。
http://bit.ly/h8NWNK

チェルノブイリでは、3500ミリシーベルトが確認された。今回、400ミリシーベルトが確認されたという(15日11時現在)。この数字をいかに見るか。これも煽る言説は止めておこう。チェルノブイリほどではなく、ただ、完全に安全だというわけではない。言えることは、その程度だ。

また、冒頭の歌詞を引用しておこう。「チェルノブイリには行きたくねぇ/あの娘を抱きしめていたい/どこへ行っても同じことなのか」。ただし、私たちは「行きたく」ない、と言ってはいられない。まさに現場は、目の前にある。その際、個人ができることは何なのか。それはささやかながら祈ることと、個人の立場からできるだけ冷静に行動を取ることくらいだろう。そのために、専門家の知識や、日本人特有の「落ち着き」が必要とされる。

繰り返す。
私たちは、この惨状の前に、なすすべはない。ただし、目の前に広がる状況は、たしかにある。祈ることと、そして復旧に向けて冷静な行動をすること。

全員が当事者であるこの未曽有のなかで、私たちができることは、その程度のことである。
今日も、祈ろう。

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