長渕剛、紅白、地雷を踏む勇気(坂口孝則)

長渕剛、紅白、地雷を踏む勇気(坂口孝則)

・長渕剛さんの長い一年

12月31日、NHK紅白歌合戦で、長渕剛さんの長い一年の幕が閉じた。

3月11日の東日本大震災直後から復興支援ラジオ番組「RUN FOR TOMORROW ~明日へ向かって~」を皮切りに、航空自衛隊松島基地で慰問ライブを行い、石巻市での地元小学生100人とともに歌いあげ、福島県浪江町の小学生20人を招待して霧島市でサマーキャンプまで。走り続けた男の2011年が、そうやって終わろうとしていた。

「僕は信じたい。日本の力を結集して、いつかふるさとに帰れるってことを。今はそれを信じて、それまで、俺たち大人も頑張るからさ、お前たちも一生懸命生きてくれよ。一緒に頑張ろう」

大晦日の晩。無数のひとたちがテレビの前で落涙していることを、私は仕事の用事で渋谷に移動している最中に知った。「長渕ありがとう!」。無数の名もなきつぶやきが流れ続けていた。

私の混乱と多忙は、やっと年末ゆえに一区切りつこうとしていた。JRで乗り換えながら、凍えるような寒さのなか力強く訴えた長渕剛さんの言葉を聞いて、私は感慨にひたっていた。私は2011年の自分自身の仕事に不満がある。それはつねに「もっとできたはずだ」という後悔と無縁ではなかった。自分とレベルも知名度もまったく異なる、一人の男性が、2011年を被災地のために、たしかに駆け抜けていた。一日一日を必死で動いてきた、そのラストだった。

私は、何かを想うことの大切さと、たった一人の人間ができることの大きさを改めて考えてしまった。長渕剛さんのように、私たちができることは小さい。ただ、小さくても、何もできないわけではない。

いや、それは長渕剛さんであっても特別ではなだろう。長渕剛さんがある種の感動を私たちに与えるのは、むしろ惨事における音楽の無力さを長渕剛さんが熟知していたからで、それでもなお被災地のために献身したからではなかっただろうか。

私たち一人ひとりは特別ではない。特別なこともできない。ただ、何かを伝えることはできる。小さな小さな声でも、誰かを勇気づけることくらいは、できる。誰だって、できる。

長渕剛さんは、楽曲によって、その勇気を伝えようとした。

「たった一人の人間ができることは何か」。そして、「他の誰でもない自分ができることは何か」。繰り返し、それが特別なことではなくても。ささいな、か弱いことであっても。

そう私は繰り返し自問していた。

いったい私は2011年に、何をすることができただろうか。

・地雷を踏む勇気

3月11日の東日本大震災の直後、すぐさま本を書くことを決めた。「大震災のとき!企業の調達・購買部門はこう動いた」は、結果として多くの人に迎え入れられた。

もちろん、この書籍は意味があっただろう。リスクヘッジの方法論も盛り込み、今後の施策を考えるうえで刺激となるはずだ。ただし、この動きも、それを加速させる執拗さに私が欠けていた。

長渕剛さんは、いまだに被災地復興のために闘いつづけていた。それが私はいったい何だろう。書籍を上梓し、そしていくつかのセミナーで話しただけで満足に浸っていた。

この「大震災のとき!企業の調達・購買部門はこう動いた」は、印税の全額を寄付にまわす。ただ、その印税寄付だけで終えることのできる災害ではない。たとえば、先日、調達・購買部門長を中心としたアンケート(JMAと共同で毎年実施している「購買調達アンケート」)では、実に大半の企業が、震災の影響をもう感じることはできないと答えている。リスクヘッジ策も、一段落したというわけだ。

もちろん、このこと自体は評価してよい。被害を最小限化でき、次の一歩を踏み出したことは、けっして非難されるべきことではない。それに、忘れっぽさも、日本人の美徳といえば、それまでだろう。また、周囲と会話していて、震災の影響を感じることはもはやできない。調達・購買に目を向けても、リスクヘッジはどこへやら。新たなコスト削減に奔走する姿しか見えてこない。

しかし、被災地の被害はまだ続いている。津波がさらった街並みは、もう1年も経とうとするなか、まだ戻ってはいない。新たな事象を伝えることが重要であるのであれば、古い事象を引き続きひとびとの脳裏に蘇らせることも重要であるはずだ。Newsとは、文字通り「新しいこと」である。もちろん、新しき事象と古き事象であれば、ひとびとは前者に飛びつく。ただ、それでもなお、長渕剛さんが示してくれたように、失念を防ぐ行為が必要だ。

ちなみに、私は長渕剛さんファンではない。初期の作品からJEEPまではほとんど聞いている。ただ、それだけだ。長渕剛さんのことを売名行為だというひとがいる。くだらない。たとえ、(そうではないだろうが)売名行為であったとしても、ひとはすべて行為で評価されるべきだ。偽善であれ、なんであれ、被災地を支援するという一点で、私は感涙を禁じ得ない。

おそらく、私たちに必要とされるのは、寝た子を起こす勇気。安穏としているひとびとを起こす勇気。地雷を踏む勇気ではないだろうか。みなが忘れているときに、震災対策の重要性を呼び覚ます。会社や部門全体が、リスクヘッジの大切さを忘却しようとしているときに、あえて強調していく。過去から学ぶことができるとすれば、そのような地道な活動に支えられるはずだ。

私は長渕剛さんの感動的な熱唱のあとに、一つの決意を胸にした。

震災問題はまだ終わっていない。もう古新聞であろうとも、被災地支援を呼びかけ続けようではないか、と。そして、できる範囲で、リスクヘッジとクラッシュマネジメントの重要性を説きつづけようではないか、と。

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