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志村けんさんに調達担当者が学べること
志村けんさんは、「変なおじさん」というキャラで一世を風靡しました。し   
かし、それは哀しみの裏返しだったことを知るひとはほとんどいません。あ    
れは、痴呆症のお父様がモデルになっているんです。しかも、志村さんの父    
親は交通事故にあって後遺症が残っています。それを笑って吹き飛ばすよう、    
哀しみの裏返しとして「変なおじさん」をはじめました。 
おそらく、2016年の現代に、あのギャグをやったら、批判が殺到するか   
もしれません。でも、何かを批判する際には、実は演者が哀しみを背負って    
いるかもしれないと思う想像力は残しておきたい、と私は思います。 
もともと志村さんは、いかりや長介さんの自宅を調べ、いきなり訪問して弟   
子入りを志願します。みなさんも、何かを待つ、という経験をしたことがあ    
ろうかと思います。みなさんが志村さんだったら、いかりや長介さんが不在    
だとわかって、ご帰宅までどれくらい待つでしょうか。志村さんは、雪が降    
るなか、なんと12時間も待ったそうです。 
志村さんはボーヤと呼ばれ、雑事などの付き人業務をずっとやらされます。   
しかし、なんとか前座で芸をする幸運が巡ってきます。おそらく、ここで    
「前座の芸を始めた瞬間、観客は目を疑った。あまりの面白さに、驚愕した。    
そして、それをたまたま見ていた番組のプロデューサーが……」などと書い    
たら面白いですよね。でも、実際は、少しずつ少しずつ人気があがったよう    
で、劇的なことはほとんどなかったようです。 
人生はときに映画よりも奇怪かもしれません。しかし、多くは平凡なもので   
す。
ただし志村さんの場合、興味深いのは、知れば知るほど、圧倒的な努力を重ねていることです。いま、新人が入ってきて、すぐさま「重要な仕事を任せてもらえない」といって辞めるケースがありそうです。しかし、志村さんは、そもそも舞台にあげてもらえず、さらにドリフターズに加入してからも、2年間はほとんどウケなかったのです。
それに耐えて、しかし、勉強を続け、芸の練習をし、やっと人気がではじめ   
ます。 
さきほど、「2年間はほとんどウケなかったのです」と書きましたが、その   
後やっと「東村山音頭」が受け入れられはじめます。会社員では、3年以内    
に3分の1が辞めるそうです。その意味では、志村さんが、いかりや長介さ    
んに弟子入りしてから、3年以内に辞めていたら、現在の志村さんはいない    
ことになります。圧倒的な努力と、そして、練習を積み重ねていた、誰も認    
めてくれないのに。そこに私は何か考えさせられるものがあります。 
もちろん、これは「若者よ会社を辞めるな」という安っぽいメッセージでは   
ありません。しかし、何かになるためには、10000時間の訓練が必要で    
す。何かになるとは、何かのプロになるということです。一日10時間の訓    
練なら、3年ほど。一日5時間なら6年はかかります。いま活躍しているひ    
とたちも、実際は、努力のひとであると知ることは、私をなぜか安心させて    
くれます。 
そして、私はいつも思うのですね。「私は凡人だから努力せねばならない」   
と。



 
				













