仕事の絶望にいたる病

仕事の絶望にいたる病

ウツ状態になっているバイヤーに読んでほしい。

先日、ある雑誌から取材を受けたときに「坂口さん宛の質問が事前に届いている」と聞かされた。その質問はこのようなものだった。その質問者と上司のあいだの溝が広がり、険悪になり、会社を辞めてしまいたいほどだという。「ただし、転職しようにも転職先がないんです」とも。質問者は私に問いかけていた。「どうしたらいいんでしょう」と。たしか、大分県の方だったと思う。

たいへん不遜ながら、私は一言だけ申し上げた。「ご愁傷様です」。

みなさんが私の立場だったら、どう答えただろう。「そりゃ大変ですね」だろうか。「あるいは、その上司と関係修復に努めましょう」だっただろうか。しかし、私にはそのご質問者の状況が救いがたいように思われた。私には、「ご愁傷様です」以外の答えは、無意味で無責任のようなものに思えた。

ところで、この回答は、完全に無思想のものではない。

ウツに近い状態になってしまった人がいるとして、その人に「でもあきらめずに頑張れ」とは言わないし言えない。それこそ無責任な発言だと思う。日本人だからだろうか。生真面目な人が多い。それに、心の底では「頑張れ」と言ってくれることを期待しているのだろう。しかし、まともな精神状態であればいいとしても、ウツに近い状態で「現状を変えるように頑張れ」という言葉を求めるべきではない。

なぜだろうか。「逃げる」という言葉が日本では否定的な意味でしかとらえられていない。私は思う。そんなに現状が厳しければ「逃げて」しまえばいい。批判する人がいても、そんなのは無視しておけ。何より大切なのは自分が快適に生きることであり、どうしようもできない状態に拘泥してしまうよりは「逃げて」しまったほうがいいではないか。なぜ、現状にそれほどこだわる必要があるのか。

逃げる。そんな選択肢を持っておけばいいと思うのだ。

納期調整や、低すぎる給料、社内での地位の低さーー。

ある人にとって悩みでもないことが、ある人にとっては悩みとなり、それがウツを引き起こすことはたくさんある。「そんな悩みなんて、アフリカの飢える子供たちの悩みと比較したらたいしたことではない」と言う人がいる。ただ、悩みは相対化できるものではなく、個別論で語るべきものだ。もっとも悲惨な人たちの現状と比較することで、ある人の悩みを軽減しようとする発想は明らかに倒錯したものだ。

ただし、その悩みを解消しようとすれば、私が冒頭の質問者に答えたように「逃げろ」という想定外の回答も受け入れる必要がある。いや、受け入れる必要はないかもしれないが、少なくともそのような回答も許容するだけの気持ちは必要となる。

つまり、自分の想定できる内容であれば、それは結局悩みを解消することはできず、ほんとうに悩みを解消しようと思えば、自分の想定外の回答を得る必要があるからだ。

ところで、この「悩み」について、先輩社員から学ぶべきことは多い。悩みとは、将来(あるいは理想)と現実のギャップによって引き起こされる。その点では、先輩社員たちの、ある種の「諦観」が悩みを消すことは間違いない。おそらく、その諦観と、昨今の「悩まない」本ブームは無縁ではないだろう。先輩から学ぶべきところは、スキルや知識ではなく、仕事態度に移ってきている。これは皮肉ではなく、ほんとうに。

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