彼女が現場で着替えたら(1)

彼女が現場で着替えたら(1)

「見たのかよ。それを、見たのかよ!!」

常に、怒鳴り声を上げる上司がいた。

何を発言しても、気にくわないところは許さない。そんな雰囲気があった。

「いや、ここのサプライヤーってこうなんですよ」などといおうものなら、反応は分かっていた。

「それは、お前が見たのか?本当にそうなのか?」

そう言われると、全てのサプライヤーの工場や現場を見たことがあるはずはないので、言葉に詰まってしまうのも仕方がなかった。

言葉に詰まっていると、次なる言葉が飛んでくる。

「だから、答えろよ。それを見たのか、どうなんだって。」

あるときなど、あるサプライヤーが北欧から内臓部品を日本に持ってくるため、関税がかかり割高になっているのだ、という説明をしたら、「お前は北欧まで行って、それを見たんだな」と訊かれた。

私は唖然とするしかなかった。

何も返す言葉など思いつかなかった。

・・・・

ここまでくるとイジメにも近いのだが、今思えば貴重なことを教えてくれる人であった。

大学生が、社会人が、インターネットからの情報と他人の書類のコピーアンドペーストだけで報告文章を作り上げる時代にあっては、なおさらのことだ。

この上司は、おそらく私がインターネットと他人からのコピーアンドペーストだけで済ます人間にならないための過激な防止剤として存在していたのだろう、と今では思う。

同業種の方と話すときも、一つ気にしていることがある。

それは「・・・という」発言が多いかどうかだ。

「・・・ということなんです」。「・・・・といったことらしいんです」。

「という」発言が多い人は、多くの場合情報の受け売りであることが多い。

インターネットで簡単に情報が手に入り、無限にコピーが可能である時代であるからこそ、自分しか知らない現場知が大切ではないかと改めて思うのだ。

・・・・

私も「それを見たのかよ!!」と言われっぱなしではない。

実際に、上司を納得させるだけのために、ポーズでサプライヤーの現場に出向いたことがある。

とりあえず行ってみて、「やっぱりこうでした」と言えばいいだろう。

そう思っていた。

しかし・・・驚いた。

上司の言うとおりだったのだ。

何度も何度も交渉してコストが下がらなかった加工部品があった。

その加工部品で焦点となっていたある工程の治具は、見積もりの内容と違っていた。

しかも、現場の女性作業員に聞いてみると、見積もりと15%ほども時間あたり生産数と異なっていた。

さらに、ベルトでの研磨工程も、なかった。実施せずとも十分次工程にまわせるレベルで仕上がっていたのだ。

何かを知る、ということは営業マンを通じてのみでもいいのかもしれない。

たまに来るサプライヤーの設計者を通じてのみでもいいのかもしれない。

バイヤーの先輩の指導した知識だけでもいいのかもしれない。

だが、どんな馬鹿げたことでも、とりあえず「見てみる」の精神は大いに役に立つのではないかと思うのだ。

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