2009年に各国の映画通による投票で選ばれたのは、クリント・イーストウッド出演の『グラン・トリノ』でした。ご覧になった方も多いでしょう。イーストウッド演じる主人公は、朝鮮戦争を経験した、元フォードの自動車工です。引退してしまった主人公は、妻も子供もいないたった一人の生活。隣家にアジア系移民一家が引越してきたところから、物語は始まります。

映画のタイトルにもなっている『グラン・トリノ』とはフォードのかつての名車です。それを自慢の一品としながら、それに自身の過去の栄光を重ねていきます。もちろん野暮になるので、映画のこれ以上のストーリーは紹介しませんが、一人のアメリカ人の老いが、美しくも切なくも、その自動車とともに描かれているのが印象的でした。イーストウッドが映画で体現したのは、たしかにアメリカ産業の一つの斜陽だったのです。

そしてその産業とは、いうまでもなく「自動車産業」のことでした。あれほど輝いていた産業も、時代の流れというものには抗えず、一つの終着点を迎えた。それが鮮やかに表現されていました。もちろん、それは誇り高きアメリカ人に捧げられた印象的なラストシーンからも明らかです。

アメリカの自動車産業は、企業の垣根を越え、強力なUAWという組合を有していました。雇用の確保と労働者の権利の主張を、経営者側に繰り返し、勝利を収める、という側面ではたしかに有能な組織です。ただ、組合活動を意図的に抑制していた日本の自動車メーカーと比べて、労働コストははるかに上回り、それが自国産業の敗北につながっていったことも否定できません。

健康保険や年金問題をはじめとして、多くの権利が労働者に有されました。たとえば、一時解雇の憂き世を見た労働者たちであっても、本給の85%が保障されたことです。仕事がないのに、とりあえず工場に出かけ、その85%を保障された中で、仕事と呼べない仕事を繰り返していました。草むしりとか、あるいは清掃とか。さらに酷い時期になると、それらの仕事すらないのに部屋に詰め込まれ、時間が来るまで待機、ということすらありました。

これでは、会社がどんなに外部調達品のコスト低減や販売増に努めてもムダというものです。そのようにして、労働コストがどんどん膨らみ、それを吸収できるわけもなく、破綻の結末があったわけでした。

ただ、ここには深刻な問題があります。労働者個人を見ると、悪い人たちではありません。それぞれ、自分の生活のみを考える、と当然のことをやっていただけです。明日の生活費も困っている人たちであれば、仕事がなくても幾ばくかの給料をもらいにいくことは想像に難くありません。個人の利益と会社の利益は、ときに反します。そして、個人の権利の側のみに焦点を当てた結果が、業界崩壊につながったわけです。

こう俯瞰して私が言うことができるのも、もちろんそれが「他人事」だからかもしれません。この世に格差社会の是正を声高に叫ぶ人はたくさんいても、実際に募金をしている人はほとんどいないのと同じことです。マクロな視点だけから評論するだけでは世の中は何も変わらず、常にミクロな行動が要求されます。しかし、評論は簡単でも、実行は難しいのですよね。それに、アメリカの自動車産業が栄華を誇っていたころに働いていた労働者であれば、その没落など信じられなかったことでしょう。それは、日本も同じことではないか。

日本のものづくりは危機的な状況にある、と評論家的に語る人はたくさんいます。しかし、それを語る人、それを認識する人の、どれだけの数がその状況変化に対して有効な手段を打ち出せているでしょうか。日本製造業の労働者コストは、世界的観点から見て、高すぎる位置にあります。アメリカよりはマシだという人もいるでしょう。では、その「マシ」というのは、日本製造業を永続させるだけのものなのでしょうか。私は、やや暗い将来を見ています。

派遣労働者を禁止させようとする動きもありますが、あれは何を考えているのだろう。もし、派遣労働者が廃止されれば、正社員化の動きが広まると政府は見ているようです。狂気の沙汰だ、と私は思います。グローバルで展開している企業であれば、労働コストを日本人ではなく、海外に代替を求めるはずであり、それがますます加速するだけだろうからです。

多くの実証検証が示すとおり、雇用条件の厳格化は、国内雇用者の拡大どころか、むしろ縮小を導きます。労働コストを温存したままでの改革であれば、有能な経営者は海外にその労働力を求めるでしょう。

むしろ発想は逆ではないか。雇用条件をより自由化し、産業構造全体の転換を図るときではないか。日本人の労働コストが上がるということは、日本人の労働に対する評価が上がっているということもできます。海外勢と同じような労働を繰り返すのではなく、もっと付加価値のある製品や文化・金融にシフトするべきときです。

このような意見は、あまり求められません。「ものづくりこそもっとも大事」と考えている人は、この意見を受け入れないからです。戦後間もなくのころは、国民の大半が農業に従事し、製造業に従事していなかったことなど知らないのでしょうね。そのとき、「農業こそがもっとも大事」と語っていた人と、今の対立は似ています。「農業こそがもっとも大事」であれ、「ものづくりこそもっとも大事」であれ、それは一つのイデオロギーに過ぎないことは失念しないほうが良いと思うのです。そして、イデオロギーとは、時代と無関係ではいられません。

とはいえ、私はマクロな観点からのみの言説を繰り返そうとしているわけではありません。手前味噌ながら、私の活動はすべて「個人」というものに立脚した、個人の変革に充てられてきました。自分一人であっても、たとえ周りの数人だけであっても、そこから何かを始めなければ事態が好転するはずはありません。

お読みいただいているこの私信も、他の情報発信も個の転換を願ったものです。時代は変化しますが、その流れに抗うことなく、むしろ利用することだってできます。少なくとも私はそう信じているのです。アメリカで起きたことは、そのほとんどが日本でも起きます。私たちは何を考え実行するべきでしょうか。ものづくりが崩壊し、労働状況と環境がこれまで以上に厳しくなる先を見据えて、その先に。

私がずっと考え、みなさんとまず共有したいのは、そんな危機感と問題意識です。

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